公族とは? わかりやすく解説

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こう‐ぞく【公族】

読み方:こうぞく

明治43年(1910)の韓国併合後、前韓国李王家与えられ皇族準ずる称号第二次大戦後に廃止


公族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 04:36 UTC 版)

公族(こうぞく)




「公族」の続きの解説一覧

公族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 09:03 UTC 版)

王公族」の記事における「公族」の解説

大韓帝国において王位をもっていた親族には「公」の称号与えられ、その夫人とともに「公族」に列せられた。公となったのは高宗庶子純宗の弟に当たる李堈高宗の兄の熹である。公族の子に対しては「殿下」の敬称用いられず、男子は「様」「公子様」、女子は「姫」と呼称された。また王族とは異なり不敬罪対象とはならなかった。また公族には歳費支給が行われなかった。しかしその財政李王職によって監督されたため、公家自由に使えるものではなかった。 李堈公家2代李熹公家4代にわたり世襲された。

※この「公族」の解説は、「王公族」の解説の一部です。
「公族」を含む「王公族」の記事については、「王公族」の概要を参照ください。


公族(藩主一門)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 04:01 UTC 版)

徳島藩」の記事における「公族(藩主一門)」の解説

蜂須賀隆矩2代藩主蜂須賀忠英の四男|別名・池田興龍(鎮辰)|仕置家老のち藩主一門復帰)- 嫡男蜂須賀綱矩5代藩主 蜂須賀隆喜2代藩主蜂須賀忠英の五男)- 隆長(長男富田藩2代藩主)、宗英(三男7代藩主蜂須賀隆寿 - 蜂須賀重隆次男蜂須賀喜憲(重隆嫡男だが早世一時中老、後に藩主一門復帰蜂須賀隆穀(重隆次男)-隆寛=休栄-隆実=隆芳 蜂須賀重矩6代藩主正員次男蜂須賀休光8代藩主蜂須賀宗鎮の七男)-休紹=休尉 蜂須賀昭順(11藩主蜂須賀治昭三男)-昭徳-昭融

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「公族(藩主一門)」を含む「徳島藩」の記事については、「徳島藩」の概要を参照ください。

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