李堈公家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:59 UTC 版)
李王垠の異母兄・義王李堈の家系。併合時に恩賜公債84万円が賜与されその利子を得たほか、慶尚南道や咸鏡南道の漁業権を民間に貸与することで収入を得た。李堈はかねてから奔放な生活を送っており、漁業権を別々の人物に貸与するなどの詐欺行為を働いたほか、18人の夫人に28名の子を産ませる、摂政裕仁親王に公を廃して平民にしてほしいと直訴するなど問題行動が多く見られた。このため1930年に李堈は隠居に追い込まれ、子の李鍵が公となった。李堈の庶子はほとんどが認知されず、公族となった李堈の子は2名のみである。戦後、外国人登録令により外国人登録の対象となった李鍵は翌日に日本式の「桃山虔一」と改名した。「桃山」は明治天皇の陵墓である伏見桃山陵にちなんだものであり、昭和天皇の了承を得て改名したものである。その子孫は日本に居住している。また李堈の庶子の一部は、大韓民国において韓国皇室後裔として活動している。
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