じょちゅう‐ぎく〔ヂヨチユウ‐〕【除虫菊】
シロバナムシヨケギク
除虫菊
シロバナムシヨケギク
(除虫菊 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 04:21 UTC 版)
シロバナムシヨケギク(白花虫除菊、学名:Tanacetum cinerariifolium)は、キク科の多年草である。胚珠の部分に殺虫成分のピレトリンを含むため、除虫菊(ジョチュウギク)の名前でも知られ殺虫剤の原料に使用されてきた。原産地は地中海沿岸であり、セルビアで発見された[1]。
注釈
- ^ 蚊取り線香の使用対象であるカは、日本脳炎などを媒介するため公衆衛生上の問題の1つである。
- ^ その後もケニアでは、一部でシロバナムシヨケギクの栽培が行われていた。また、シロバナムシヨケギクから抽出した殺虫成分を用いても、日本では有機栽培と名乗れるので、その用途で利用され得る。
出典
- ^ 『世界の花』小学館。
- ^ a b c “ありがとう因島市 : 因島市閉市記念誌”. 国立国会図書館 (2006年11月29日). 2014年10月17日閲覧。
- 1 シロバナムシヨケギクとは
- 2 シロバナムシヨケギクの概要
- 3 日本での歴史
- 4 伝統的な蚊取り線香の製法
- 5 関連項目
除虫菊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 06:03 UTC 版)
かつては除虫菊(シロバナムシヨケギク)の一大産地で、旧因島市の市花であった。 外来種の除虫菊が日本に導入されたのが明治初期、この地方で栽培が始まったのは明治22年(1889年)頃上山英一郎によって向島でのことで、明治30年(1897年)頃から重井で栽培が始まった。村上勘兵衛らの尽力により大正になって普及が進み、第一次世界大戦によって輸入殺虫剤が途絶えると除虫菊の需要は高まった。これは太平洋戦争時にも同様であった。 大正9年(1920年)の記録では広島県の生産額は北海道に次いで二位を占めていた。因島での全盛期の作付面積は350ha 。ただ戦後になるとピレトリンが化学合成されるようになったため作付は激減し、因島においては昭和52年(1977年)時点で1haにまでになった。 現在のものは観光用に栽培されている。また1989年旧因島市が水軍と花をテーマに観光展開しだした際に因島フラワーセンターができ、園内には「村上勘兵衛翁詩碑」ができた。
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