除虫菊と渦巻型蚊取り線香
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:25 UTC 版)
「大日本除虫菊」の記事における「除虫菊と渦巻型蚊取り線香」の解説
1885年(明治18年)、和歌山県有田郡の蜜柑農家の四男であった創業者の上山英一郎が、福沢諭吉の紹介で、アメリカの植物会社社長H・E・アモアと出会う。アモアから殺虫効果のある除虫菊の種苗を手渡された上山は、除虫菊の栽培農家を求めて各地を行脚する。そしてまず、乾燥させた除虫菊の粉末からノミ取り粉の製品化に成功する。その後、農家から蚊に効く除虫剤の製造を依頼された上山は、澱粉に除虫菊を混ぜた線香(蚊取線香)「金鳥香」の製造を開始する。最初は棒状であったが、燃えている時間が短い、細いため効果を上げるには何本も炊かなければならない、といった短所があった。 1895年(明治28年)上山英一郎の妻ゆきが、蚊取り線香を渦巻型に改良する着想を得る。改良の着想を得てから7年の歳月を費やし、1902年(明治35年)、現代にも続く「渦巻型蚊取り線香」を発売。これが評判となり、1905年(明治38年)には日本除虫菊貿易合資会社を設立し、海外にも蚊取り線香の販売を開始する。1934年(昭和9年)には今日まで発売されている液体噴霧殺虫剤「キンチョール」(キンチョー+オイルの造語)を発売。本格的な虫駆除を目的とした殺虫剤、日用品製造企業としての知名度を築き上げた。 なお1960年代から、除虫菊の殺虫成分であるピレトリンは使われておらず、住友化学が開発した合成ピレスロイドの「アレスリン」を使用している。
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