おっくう
「おっくう」とは、面倒で気分が乗らないことを意味する表現。
「おっくう」とは・「おっくう」の意味
「おっくう」は「面倒でやる気分が乗らないこと」を意味する言葉である。漢字で書く場合「億劫」となる。間違えやすいが「おっくう」は、どこの方言でもない。「おっくう」が方言と間違われる理由は甲州弁で「億劫がる(面倒くさがる)」と使うことがあり、それが「おっくう」の由来だと誤って伝わってしまったからである。
「おっくう」は否定的な気持ちを述べる形容詞であり、 敬語の形はない。「痛い」や「気持ちわるい」などに敬語の形がないのと同じである。「おっくう」をビジネスの中で使う場合「体調が優れない」「他に重要なタスクがある」などおっくうに感じた理由を述べる事で相手に伝える事ができる。
「おっくう」の語源・由来
「おっくう」は仏教語が由来である。仏教語では「おっこう」と読み、とてつもなく長い時間を意味する言葉である。「億劫」の「億」は、1億円などの数の単位を表す言葉で、「劫」は時間の単位を表す。「劫」は元はサンスクリット語である「kalpa」の音写であり、古代インドで最長の時間の単位を示す言葉である。「1劫」の長さは、100年に一度天女が高い岩山に舞い降りてきて羽衣で頂上を撫でて、その摩擦によって岩山が消滅する時間である。数字にすると43億2000万年とされそれが億回積み重なるので「億劫」は43京2000兆年となる。とてつもないくらい長い時間がかかってしまい容易ではないことから転じて、手間がかかりやるのが面倒に感じる事を意味する「おっくう」という言葉になった。
「おっくう」の熟語・言い回し
億劫な気持ちとは
「億劫な気持ち」とは面倒で手間がかかるからやりたくない。という自身の行動をしたくない気持ちを意味する言葉である。
億劫になるとは
「億劫になる」とは面倒で手間のかかる状況に直面し、やりたくないという感情になる事である。
億劫に感じるとは
「億劫に感じる」とは面倒で手間がかかるからやりたくないという感情を自覚している状態である。
おっくうに思えるとは
「おっくうに思える」とは自身は「おっくう」と感じているが他者は「おっくう」と感じていない状況で使用する言葉である。
おっくうだとは
「おっくうだ」とは「おっくう」の形容動詞の終止形であり、言い切りの形である。
「おっくう」の使い方・例文
「おっくう」は「気乗りしない」ときや、「何故かやる気が起きない」など、何かをやりたくない感情に「億劫」を用いる。例文1仕事が終わった後に出掛けるなんて、非常におっくうだ。
例文2徒歩で帰るのがおっくうに感じタクシーを呼ぶことにした。
例文3入浴した後に食事をするのはおっくうに思える。
例文4息をするのもおっくうになるほど疲れている。
例文5二度寝をしてしまうともう一度起きるのがおっくうな気持ちになる。
例文6会社へ行くのに満員電車で2時間もかかるのはおっくうだ。
例文7何もかもが上手くいかず、解決策を考えるのもおっくうだ。
例文8年末年始で休んだあとは仕事に行くのがおっくうになる。
例文9忘れ物をする度にわざわざ家と学校を何度も往復するのはおっくうに感じる。
例文10せっかくの休みの日なのになんとなくおっくうで何もしたくない。
「おっくう」と「面倒くさい」の違い
「おっくう」と似た意味をもつ言葉に「面倒」という言葉がある。「面倒」は物事を行うのに手間がかかることを意味する言葉である。「おっくう」は手間のかかる事をやりたくないという感情を表す時に使う言葉である。対して「面倒」は手間のかかる状況や物事に使う言葉である。「仕事を終わらせるのが面倒だ。」という文章の場合、仕事の内容が複雑であったり量が多いため手間がかかる事を意味する。「仕事を終わらせるのがおっくうだ」という場合、仕事に対してやる気がおきない事を意味する。
おく‐こう〔‐コフ〕【億×劫】
おっ‐くう〔オククフ〕【億×劫】
おっ‐こう〔オクコフ〕【億×劫】
億劫
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