不正選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/06 13:47 UTC 版)
![]() |
この記事は英語版の対応するページを翻訳することにより充実させることができます。(2024年10月)
翻訳前に重要な指示を読むには右にある[表示]をクリックしてください。
|
政治シリーズ記事からの派生 |
選挙 |
---|
用語 |
関連事項 |
図表 |
![]() |
不正選挙(ふせいせんきょ)は、票の集計の改竄や立候補・投票の妨害などがなされ、その根幹の部分が捻じ曲げられた選挙のこと。
概説
![]() |
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2016年7月)
|
買収・供応・脅迫・有力候補の立候補資格停止・票数の意図的な読み違えなどにより、その建前通りに執行されていない選挙を指す。選挙執行権と警察権を保持する政府・与党を有利にするための干渉が典型例である。開発途上国では、複数政党制を標榜していても、常態化している場合が少なくない。不正選挙が常態化している国では、有力野党候補が投獄もしくは暗殺される危険性が高い。また、不正選挙が明白である場合、有権者が選挙結果に不満を持ち、事実上の独裁者を実力で打倒する場合もある。秘密投票が保障されていない不正選挙では不正が発覚することもあるが、秘密投票の場合には性質上不正があっても発覚しない。公開投票制では体制側が反体制勢力を把握できるために、体制に批判的な有権者が意に反して体制側に投票する事例も出てくる。
戦前の日本では、買収などの選挙不正の容疑を名目とし、野党候補者やその運動員が、与党支配下の警察によって投票日前に拘束される選挙干渉が多発した。そのため、戦後には選挙違反の摘発は投開票終了後に行うという慣行がある。
実例
過去の有名な不正選挙としては、1927年に実施されたリベリアの大統領選挙(ギネスブックで「史上最も不正があった選挙」として登録[1])、1960年に実施された韓国の大統領選挙[2](四月革命で無効化)、1986年に実施されたフィリピンの大統領選挙(ピープルパワー革命でフェルディナンド・マルコスが亡命)、2004年に実施されたウクライナの大統領選挙(各国の監視下で約1か月後に再選挙を実施)などがある。
日本
タイ
軍事政権下のタイ王国では、2019年の総選挙で不正選挙疑惑が発生し「不正選挙はいらない」「選挙管理委員会のメンバーは辞任しろ」と主張するデモ活動が起きている[3]。アジアの選挙監視団「自由な選挙のためのアジアネットワーク(ANFREL)」は、選挙が軍政側に有利であったとしたが、不正選挙が行われたかどうかについては、明言を避けた[4]。
脚注
注釈
出典
- ^ “Academic Report on The Grass-roots of Conflict in Liberia”. Senegambia News. 2011年7月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月31日閲覧。
- ^ 尹景徹『分断後の韓国政治-1945~1986-』木鐸社
- ^ タイ、不正選挙と学生ら抗議 投開票から1週間
- ^ タイ総選挙戦は軍政に有利、監視団が指摘 不正認定はせず
関連項目
不正選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 05:44 UTC 版)
このような状況下に置かれたマルコス大統領は、国民の不満を解消することや国際社会からの非難をかわすことを目的に、まだ任期が残っていたにもかかわらず、1986年初頭に大統領選挙を行うことを発表した。そこに立候補したコリーは徹底して反マルコスキャンペーンを行い、フィリピン全土を回って支持を訴え国民の大多数の支持を訴えた。 大統領選挙中、マルコス支持派は「マルコス・パ・リン(まだマルコスに大統領を続けてほしい)」と、対抗するアキノ派は「タマ・ナ(もううんざり)」、「ソブラ・ナ(やりすぎだ)」と応酬を繰り返した。 1986年2月7日に投票が行われ、開票の結果、民間の選挙監視団体「自由選挙のための全国運動(英語版)(NAMFREL)」や公式な投票立会人らが、「最終得点はアキノが約80万票差で勝利した」と示したものの、マルコス大統領の影響下にあった中央選挙管理委員会の公式記録は「マルコスが160万票の差で勝利した」と発表した。
※この「不正選挙」の解説は、「エドゥサ革命」の解説の一部です。
「不正選挙」を含む「エドゥサ革命」の記事については、「エドゥサ革命」の概要を参照ください。
「不正選挙」の例文・使い方・用例・文例
- 不正選挙のページへのリンク