Zhangweiとは? わかりやすく解説

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張微Zhang Wei

チョウビ
チヤウビ

(?~?)
広漢太守

字は建興華陽国志》。犍為郡武陽の人。張翼の子張翼伝》。

若いころ同郡の費緝、蜀郡寿良とともに名を知られた。真心厚く学問好み官位広漢太守まで昇った《華陽国志》。

永康元年三〇〇)、趙廞叛逆して大将軍自称すると張微を軍祭酒任じたが、翌永寧元年趙廞部下李特らが背いて成都城に迫ると、張微は常美苾らとともに夜中城門切って脱走した太安元年三〇二)、晋朝は張微を徳陽駐屯させて広漢太守復職させた《華陽国志》。

参照寿良 / 常美 / 張翼 / 趙廞 / 費緝 / 李特 / 苾 / 犍為郡 / 広漢郡 / 蜀郡 / 晋 / 成都県 / 徳陽県 / 武陽県 / 軍祭酒 / 太守 / 大将軍


張衛Zhang Wei

チョウエイ
チヤウヱイ

(?~215

張魯の弟《張魯伝》。張魯には張衛のほか、劉璋殺された弟がいる《張魯伝》。

建安二十年二一五)、曹操軍勢催して陽平関に攻め寄せたとき、兄張魯使者出して降服意志示したが、張衛は独断軍勢率いて関所固守し楊昂とともに山々防衛線を張った陽平山頂にも陣営連ねており、これを攻撃した曹操軍多く死傷者出した曹操はすっかり意気阻喪し、撤退決意夏侯惇許褚使者として山上軍勢引き揚げさせた《武帝紀・張魯伝》。

張衛らは曹操軍撤退しようとしているのを見て警戒解いた武帝紀》。夜中数千頭の大鹿群れ飛び込んできたので、張衛軍は胆を冷やした張魯伝》。曹操軍本営先鋒解〓・高祚引き揚げようとしたが、夜中のことで、知らず知らず張衛の陣営迷い込んでしまった《武帝紀・張魯伝》。

武帝紀』では、張衛が警戒解いたのを見て曹操高祚らを山伝い進めて夜襲をかけたとしている。しかし高祚陣中迷い込んだため張衛軍が自壊たとするのは董昭・楊曁らの上奏文であり、事実反して先帝の名誉を損ねることはあり得ない董昭らの説を採用すべきと考えられる大鹿群れ山中高祚軍に驚いて逃げ出してきたものだろう。敵伏兵接近暗示している《孫子》。

高祚らは手勢少なく軍鼓激しく打ち鳴らして味方呼んだため、張衛軍は夜襲だと思って混乱陥った張魯伝》。曹操軍殿軍努めていた劉曄は、この騒動乗ずれば勝利できると考え曹操攻撃勧めた劉曄伝》。そこで曹操軍引き返して張衛軍を攻撃し敵将楊任を斬った《武帝紀》。張衛は逃走したが、追いつめられて降服し武帝紀・張魯伝》、のち斬首された《後漢書劉焉伝》。

参照夏侯惇 / 解〓 / 許褚 / 高祚 / 曹操 / 張魯 / 楊昂 / 楊任 / 劉曄 / 陽平関 / 陽平




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