Xの結婚と離婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/07/09 12:24 UTC 版)
「北九州監禁殺人事件/del20140716」の記事における「Xの結婚と離婚」の解説
話は前後するが、Xは高校時代にバス停で出会った年上の社会人女性と3年間交際。1982年に布団販売業を経営していたXは交際相手の女性にプロポーズをして19歳で結婚。 一方でXは他の複数の女性と浮気をして結婚後も不倫を重ねたが、妻はこのことを知っていた。妻は最初の頃は止めて欲しいとXに言っていたが、次第に感覚が麻痺して辛いと思わなくなった。1982年12月24日にはXが入れ込んでいた音楽好きの女性に「バンドをやっている」と口説き、嘘を本当にするために楽器や音響機器を揃えて従業員に1ヶ月特訓をさせ、1100人収容の久留米の大ホールに50人ほどの客の前でバンドの演奏に乗ってXはボーカルを担当し、音楽好きの女性に向けて「最高のイブ!」と声をかけた。この時、ホールの客にはXの子を妊娠していた妻だけでなく、Xと数ヶ月前に肉体関係を結んだ愛人Yがおり、他にも愛人がいたとされる。妻はYとは初対面ではなく、小学生時代に学校で一緒に遊ぶ等の交遊関係があった。妻は後にYがXの事務所に寝泊りするXの愛人と知るようになる。 1983年に長男が誕生したが、恋人時代から続いていたXの暴力は止まらないために妻は逃げ出すことも考えた。しかし、Xに取られたくない子供を連れて逃げるのは難しいと躊躇した。 Yは愛人としてXが経営する事務所で寝泊りをするようになり、妻はYと共にXから度々暴行を受ける。Xに暴行をされた際には妻は大声で喚いたが、Yは声をあげずに耐えており、妻は「Yが暴行に声を上げずに耐える」のを不思議がった。また、妻と子の前でXがYを暴行した際、マヨネーズを台所の床に落として舐めることを命じた事に、妻は「子供の前では止めてッ!」と叫んだが、Yは抵抗する素振りを見せずに床に落ちたマヨネーズを舐め続けた。このようにYと妻は同じように暴行を受けても、Yは妻よりもXに従属的だった。 Xが暴行して入院したYを不審に思った担当医が警察に通報し、警察がXの事務所に来て任意同行を求められる。妻はXの逮捕を確信し「殺人事件とかになる前で本当によかった」とXからの暴力解放を喜んだ。しかし、数時間後にXは逮捕されずに戻ってきた。 Xの義父(妻の父)はXの性格を疑って結婚後も信用しなかったので、Xは義父(妻の父)の前では粗暴な対応を見せなかったが、義父(妻の父)の死亡後にXが実家でも平然と暴力を振るったことがきっかけとなり、妻は長男を連れてXから逃げて警察署に駆け込んでDVの被害申請をし、紹介された相談所で仮住まいをした。Xは居所を突き止めようとしたが、市役所が住民票を移さないまま長男の転校等を特別に許可するなどの対応をとったために難を逃れ、2ヶ月後にXとの離婚が成立した。 事件発覚後に元妻は「もしあの時逃げなければ、私がYのように家族を殺していたかもしれない」という言葉を残している。
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