ジェンキンスの耳の戦争
(War of Jenkins' Ear から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 05:31 UTC 版)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2012年10月)
|
ジェンキンスの耳の戦争 | |
---|---|
![]() ジェンキンスの拿捕を描いた石版画 |
|
戦争:ジェンキンスの耳の戦争 | |
年月日:1739年 - 1748年 | |
場所:カリブ海、フロリダ、ジョージア | |
結果:戦争前の原状に戻す。アーヘンの和約締結。 | |
交戦勢力 | |
![]() |
![]() ![]() |
指導者・指揮官 | |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
ジェンキンスの耳の戦争(ジェンキンスのみみのせんそう、英語: War of Jenkins' Ear、スペイン語: Guerra de la oreja de Jenkins)とは、1739年に起こったグレートブリテン王国(イギリス)とスペインの海上権争覇の戦争であり、スペイン当局に拿捕されて片耳を切り落とされたという商船船長ロバート・ジェンキンスの名に由来する。やがて大陸のオーストリア継承戦争に拡大し、ヨーロッパ全土にわたる大戦に発展した。これらの戦争は1748年のアーヘン和約まで続き、ひいては1756年に始まる七年戦争に連なる契機となった。
前史
ウィリアム3世以来、主としてホイッグ党が中心となって進めてきた対仏戦争政策であったが、すぐれた財政家であり、1720年の南海泡沫事件の処理による功績で、その翌年に第一大蔵卿となったホイッグ党のロバート・ウォルポールは、「国民的重商主義」の見地から戦争は貿易の障害になるとして平和外交をおしすすめた[1]。これは「長い18世紀」(第2次百年戦争)と呼ばれる百年余のなかでも例外的なことであったが、その執政中にあっても戦争の危機は存在していた[2]。ユトレヒト条約に不満なスペインはオーストリア(ハプスブルク君主国)と結び、1726年、ジブラルタルを奪回すべくこれを包囲した[2]。それに対し、ウォルポールはスペイン領西インド諸島に艦隊を派遣したが、けっして相手を攻撃しないという条件が付けられていた[2]。1733年に勃発したポーランド継承戦争にも参戦しなかった。ウォルポールは戦争を回避するため万全を期していた(「ウォルポールの平和」)[2]。
概要

イギリス南海会社はアシエントと称される貿易契約によって部分的にスペイン領西インド諸島と貿易を許されてはいた。しかし、本来は上納すべき貿易利潤をスペインに申告せず、また密貿易をも行っているとして、スペイン側は沿岸警備隊を使って強攻策すなわち拿捕を始めた。イギリス商人がユトレヒト条約の規定に違反したためスペインが捜査権を行使してイギリス船舶と積荷を没収したのである[2]。船舶の拿捕の件数は当初1年あたり数件から10件程度とわずかであったが、イギリス国内では次第にスペインに対する反感が強まっていった。そして1738年、レベッカ号船長ロバート・ジェンキンス大尉が、拿捕されたときにスペイン人に切り落とされたという自身の片耳を庶民院に証拠として提出した[2][3][注釈 1]。すると、イギリスの世論はスペイン報復論に沸き立った[2]。
対外宥和政策を固持することによって財政的安定をはかっていたウォルポールは世論に押し切られる形で1739年10月、スペインに宣戦布告し、ここに「ウォルポールの平和」は終焉を迎えた[2]。
翌1740年にオーストリア継承戦争が勃発すると、戦火はヨーロッパ全域に広がった[2]。オーストリア領ネーデルラントがフランスに占領されることになるとイギリス存亡の危機につながると懸念したイギリス政府はオーストリアと同盟を結び、フランスとも戦火をまじえることとなった[2]。これによりイギリスとフランスの覇権争いは再燃し、両陣営にはかばかしい戦果もなく1748年のアーヘンの和約締結でいったん終結するが、この停戦条約は1756年に始まる七年戦争までの小休止でしかなかった。
脚注
注釈
- ^ ジェンキンスの耳は塩漬けされていた。なお、本当にスペインに船を拿捕されたときに耳を切り取られたのか疑問とする説もある。それによれば、ジェンキンスは喧嘩で耳を切られたという。
出典
- ^ 大野(1975)pp.466-468
- ^ a b c d e f g h i j 大野(1975)pp.468-471
- ^ 吉岡(1960)pp.231
参考文献
- 今井宏編『世界歴史大系 イギリス史2 近世』、山川出版社、1990年。 ISBN 4-634-46020-3
- 大野真弓『世界の歴史8 絶対君主と人民』中央公論社〈中公文庫〉、1975年2月。ISBN 4-265-04401-8。
- 浜林正夫『イギリス名誉革命史 下』、未來社、1983年。 ISBN 4-624-11056-0
- 布留川正博「アシエント奴隷貿易史(2) イギリス南海会社のスペイン領アメリカへの奴隷貿易を中心にして」『経済学論叢』第36号(3,4)、pp.364-405、同志社大学、1985年。
- 村岡健次・川北稔編著『イギリス近代史 宗教改革から現代まで』、ミネルヴァ書房、1986年。 ISBN 4-623-01649-8
- 吉岡力編『世界史 (大学教養演習講座 ; 第7)』青林書院、1960年。
関連項目
「War of Jenkins' Ear」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
- War of Jenkins' Earのページへのリンク