W125レコルトワーゲンとローゼマイヤーの死とは? わかりやすく解説

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W125レコルトワーゲン(1938年)とローゼマイヤーの死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 14:45 UTC 版)

モータースポーツにおけるメルセデス・ベンツ」の記事における「W125レコルトワーゲン1938年)とローゼマイヤーの死」の解説

W125レコルトワーゲン1938年) アウトウニオン・タイプC・ストリームライナー 冬のドイツ路面凍結することがあるため、それまで速度記録への挑戦シーズン後の秋の決められた週に行うようNSKKによって定められていたが、ダイムラー・ベンツ当局の上層部に働きかけ1938年1月末に速度記録への挑戦を行うという予定承認させた。この日程当時2月3月ベルリン開催されていたドイツ最大自動車展示会であるベルリンモーターショー(IAA)の開催直前であったことから、重要イベント前に記録更新されてしまうという事態を避けたかったアウトウニオン参加表明することになった。 メルセデスチームは前年アウトウニオン記録を破るべく風洞試験重ねてボディ改良入念に行い車体先端インテーク縮小し2つ小さな穴のみとした点が前年型(3ヶ月前)のボディとの大きな違いとなったインテーク小さくすればエンジン冷却不充分な状態に晒されるが、速度記録車の走行は短い時間で終わることから、氷を詰めた冷却装置設置することで冷却の補助を行うというアイデア用いられた。対すアウトウニオンは、参加急遽決定したため確実に記録更新できるほどの改良を施す時間はなく、現状車両空力の面で手直しすることで30 km/hを稼ぐというプラン立てた1938年1月28日午前8時頃、前回と同じフランクフルトダルムシュタット間で、改良されW125レコルトワーゲンをカラツィオラが走らせ、432.69 km/hという新記録を樹立した。同日昼前アウトウニオンのローゼマイヤーも走り出し、往路でカラツィオラに迫る速度記録したが、記録更新挑んだ復路走行中に風にあおられとみられる事故により彼のアウトウニオン沿道木々打ち付けられ、ローゼマイヤーは帰らぬ人となった以降アウトウニオン速度記録車の開発から手を引き結果的にメルセデス・ベンツアウトウニオンの間で繰り広げられ速度記録をめぐる争いも、この事故によって終息した。 この時にW125レコルトワーゲン樹立した432.69 km/hという記録公道上で記録され最高速度記録としてその後長く残り2017年更新されるまで80年近く渡って破られることはなかった。

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