W1(第五青函丸)の過剰軽量化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 05:06 UTC 版)
「第五青函丸」の記事における「W1(第五青函丸)の過剰軽量化」の解説
従来、連絡船の建造工事では船主側である鉄道省監督官が工事監督業務に当たった。しかし既述の通り1942年(昭和17年)2月以降は勅令第68号とこれを改正した勅令619号により、海軍艦政本部は主要造船所における商船の造修監督権を手に入れたため、W1(第五青函丸)建造では当初より海軍艦政本部監督官がその業務に当たった。艦艇建造を本務とする海軍艦政本部監督官には商船建造に関する知識は必ずしも十分ではなかったが、当時造船所側もこの権勢を振るう海軍艦政本部監督官の鋼材節減要求には逆らえず、本来全面鋼板張りで船体縦強度確保に重要な船橋楼甲板に、鉄道省/運輸通信省鉄道総局監督官の反対を押し切って、甲板室船首側には幅2.8m長さ21.8mの長方形の開口を、船体中心線上に1.7m幅の通路部分を残して左右対称2列にくり抜き、甲板室船尾側も同様に同幅の長さ33.3mの開口を左右対称2列にくり抜き、それらを板張りにするなど過剰な軽量化を強行し、第四青函丸より720トンもの軽量化を実現した。工期も従来の半分の6ヵ月に短縮し、竣工予定の1943年(昭和18年)度末よりはるかに早い1943年(昭和18年)中に、竣工間近となった。しかし、船が浮き上がり過ぎ、車両積み込み時の横傾斜(当時建設中の函館有川の函館第3第4岸壁、青森第3岸壁の新型可動橋では4度まで許容、当時稼働中の在来型可動橋は1度50分程度まで許容)が、ヒーリング装置で補正してもなお8度に達し、これにより可動橋のねじれが過大となり、2軸貨車が3点支持となって脱線することが鉄道省/運輸通信省鉄道総局監督官の調査で判明した。これでは車両渡船としては使用できず、しかも二重底廃止で二重底への海水注入もかなわず、結局鉄道省/運輸通信省鉄道総局側からの提案で、ボイラー室前隣の、両舷にヒーリングタンクを抱える第3船艙を深水タンクに改造し、600トンの海水を入れ、さらに機械室後ろ隣の車軸室船底に150トンの砂利を積み込んで重量を確保し、どうにか使える形で完成させた。造船所もこれに懲り、W2(第六青函丸)以降はこのような過剰な軽量化は行われなかったが、第3船艙の深水タンクと車軸室のコンクリートブロックとなった死重は引き継がれた。
※この「W1(第五青函丸)の過剰軽量化」の解説は、「第五青函丸」の解説の一部です。
「W1(第五青函丸)の過剰軽量化」を含む「第五青函丸」の記事については、「第五青函丸」の概要を参照ください。
- W1の過剰軽量化のページへのリンク