T. Rex期とは? わかりやすく解説

T. Rex期(1970年 - 1977年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 07:53 UTC 版)

T・レックス」の記事における「T. Rex期(1970年 - 1977年)」の解説

1970年12月に「T.Rex」とバンド名を短縮、「ライド・ア・ホワイト・スワン」(全英2位)の大ヒットスターダムに。1971年ベースのスティーヴ・カーリーとドラムのビル・レジェンドが加わり4人組バンドになって初めてのアルバム電気の武者』がUKチャート1位の大ヒット。「(バング・ア・ゴング)ゲット・イット・オン」(全英1位・全米10位)や「ジープスター」(全英2位)といったヒット・シングルも生まれイギリスでは人気グラムロック・グループとなったまた、この当時の彼らは「第2のビートルズ」との呼び声高かったデビュー当初からのプロデューサーであり、ストリングス大胆に用いた独特のサウンド構築したトニー・ヴィスコンティも、彼らの成功伴って制作者として評価高めた1972年に『ザ・スライダー』(全英4位・全米17位)、1973年には『タンクス』(全英4位)と次々にヒットアルバムを出す。さらにシングルメタル・グゥルー」(全英1位)「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」(全英2位)、「イージー・アクション」(全英2位)など、数多く大ヒット連発していった。日本でも武道館公演行なうほどの人気で、1973年リリースされシングル、「20センチュリー・ボーイ」(全英3位)は当時日本盤の発売元東芝EMIスタジオでレコーディングされた。さらに「ザ・グルーバー」「トラック・オン」「ライト・オブ・ラブ」「ティーンエイジ・ドリーム」なども発表した。しかし、アメリカでヒットしたのは「ゲット・イット・オン」1曲だけで、大きな成功をおさめることができなかった。 1975年に入るとグラムロックブームが終わり急速に人気しぼんでいった。人気急落後のマーク・ボランは、自身麻薬中毒ともあいまって危機的な状況迎える。この時期楽曲ブラック・ミュージック色を取り入れたもので、現在ではそれなりに評価されているが、不摂生の祟ったマーク太ってしまい、ビジュアル面でも精彩欠いた。だがやがて、息子誕生などを機に、生活を改めバンド・メンバー一新ソウルミュージックにも興味示して再起目指していた。 黒人女性シンガーのグロリア・ジョーンズ(1945〜)とは、1969年最初に出会い1972年再会し恋愛関係になっていた。マーク恋人だったジューン・チャイルドと1970年に既に結婚していたために、グロリアとは婚姻届なしの事実婚となった1975年二人の間には男の子誕生した(ロラン・ボラン:Rolan Bolan)。しかし、1977年にグロリア・ジョーンズが運転する車が街路樹激突し同乗していた彼は29歳死去した生前、「30歳まで生きられないだろう」と言っており、偶然だ30歳誕生日2週間前に死去した

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