T. Rex期(1970年 - 1977年)
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1970年12月に「T.Rex」とバンド名を短縮、「ライド・ア・ホワイト・スワン」(全英2位)の大ヒットでスターダムに。1971年にベースのスティーヴ・カーリーとドラムのビル・レジェンドが加わり、4人組のバンドになって初めてのアルバム『電気の武者』がUKチャート1位の大ヒット。「(バング・ア・ゴング)ゲット・イット・オン」(全英1位・全米10位)や「ジープスター」(全英2位)といったヒット・シングルも生まれ、イギリスでは人気グラムロック・グループとなった。また、この当時の彼らは「第2のビートルズ」との呼び声も高かった。デビュー当初からのプロデューサーであり、ストリングスを大胆に用いた独特のサウンドを構築したトニー・ヴィスコンティも、彼らの成功に伴って制作者としての評価を高めた。 1972年に『ザ・スライダー』(全英4位・全米17位)、1973年には『タンクス』(全英4位)と次々にヒットアルバムを出す。さらにシングル「メタル・グゥルー」(全英1位)「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」(全英2位)、「イージー・アクション」(全英2位)など、数多くの大ヒットを連発していった。日本でも武道館公演を行なうほどの人気で、1973年にリリースされたシングル、「20センチュリー・ボーイ」(全英3位)は当時の日本盤の発売元、東芝EMIのスタジオでレコーディングされた。さらに「ザ・グルーバー」「トラック・オン」「ライト・オブ・ラブ」「ティーンエイジ・ドリーム」なども発表した。しかし、アメリカでヒットしたのは「ゲット・イット・オン」1曲だけで、大きな成功をおさめることができなかった。 1975年に入るとグラムロックブームが終わり、急速に人気はしぼんでいった。人気急落後のマーク・ボランは、自身の麻薬中毒ともあいまって、危機的な状況を迎える。この時期の楽曲はブラック・ミュージック色を取り入れたもので、現在ではそれなりに評価されているが、不摂生の祟ったマークは太ってしまい、ビジュアル面でも精彩を欠いた。だがやがて、息子の誕生などを機に、生活を改め、バンド・メンバーも一新、ソウルミュージックにも興味を示して再起を目指していた。 黒人女性シンガーのグロリア・ジョーンズ(1945〜)とは、1969年に最初に出会い、1972年に再会し、恋愛関係になっていた。マークが恋人だったジューン・チャイルドと1970年に既に結婚していたために、グロリアとは婚姻届なしの事実婚となった。1975年に二人の間には男の子も誕生した(ロラン・ボラン:Rolan Bolan)。しかし、1977年にグロリア・ジョーンズが運転する車が街路樹に激突し、同乗していた彼は29歳で死去した。生前、「30歳まで生きられないだろう」と言っており、偶然だが30歳の誕生日の2週間前に死去した。
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