SSゲルマニア連隊
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「ヴィルヘルム・ヴェーバー (親衛隊隊員)」の記事における「SSゲルマニア連隊」の解説
1939年9月1日、ドイツ国(ナチス・ドイツ)がポーランドへの侵攻を開始して戦争(第二次世界大戦)が勃発すると、SS「ゲルマニア」連隊の下士官ヴィルヘルム・ヴェーバーは装甲偵察車の車長としてポーランド侵攻に参加。戦功によって二級鉄十字章を受章した。 続いて1940年5月~6月の西方戦役に従軍した後、ヴェーバーは1941年6月22日から開始されたソビエト連邦侵攻作戦「バルバロッサ」に参加。ロシア(東部戦線)での戦功によって一級鉄十字章を授与され(正確な受章日は不明)、1941年7月付でSS曹長(SS-Oberscharführer)に昇進。後にSS「ヴィーキング」師団「ゲルマニア」連隊第15中隊(オートバイ偵察中隊)の小隊長を務めた。 1942年4月、ヴェーバーSS曹長はブラウンシュヴァイクSS士官学校(SS-Junkerschule Braunschweig)に入校して将校教育を受け、同年11月付でSS連隊付上級士官候補生(SS-Standarten-OberJunker)となった。そして1943年3月10日付でSS少尉(SS-Untersturmführer)に任官 した後、ヴェーバーは前線に戻り、SS装甲擲弾兵師団「ヴィーキング」SS装甲擲弾兵連隊「ゲルマニア」の小隊長として1944年中旬まで様々な戦場で戦った。 1944年8月から10月初旬の間、ソビエト赤軍が迫ったラトビアの首都リガ防衛戦でヴェーバーSS少尉はSS訓練中隊を指揮して奮闘した。この時のヴェーバーの活躍に注目したフランスSS部隊総監グスタフ・クルケンベルクSS少将(SS-Brigf. Gustav Krukenberg)は、後にドイツ国内のパーダーボルン(Paderborn)とシュタウミューレ(Staumühle)で第2SS装甲偵察訓練中隊の訓練を担当していたヴェーバーをSS所属武装擲弾兵旅団「シャルルマーニュ」(Waffen-Grenadier-Brigade der SS „Charlemagne“)に招いた。
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