ラミロ2世 (レオン王)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 15:07 UTC 版)
ラミロ2世 Ramiro II |
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レオン国王 | |
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10世紀に描かれたラミロ2世
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在位 | 931年 - 951年 |
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出生 | 898年頃 |
死去 | 951年1月1日![]() |
埋葬 | ![]() |
配偶者 | アドシンダ・グティエレス |
ウラカ・サンチェス・デ・パンプローナ | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | アストゥリアス家 |
王朝 | ペレス朝 |
父親 | オルドーニョ2世 |
母親 | エルビラ・メネンデス |
ラミロ2世 (Ramiro II de León、898年頃 - 951年1月1日)は、レオン王(在位:931年 - 951年)。歴代レオン王の中で最も有名な人物の1人で、大王(el Grande)と呼ばれた。敵であるイスラム教徒(ムスリム)たちは、ラミロ2世の残酷さと精力的な面から悪魔王(el Diablo)と呼んだ。
生涯
オルドーニョ2世と王妃エルビラ・メネンデスの子として生まれた。924年の父の死後、次兄アルフォンソ4世の治世を助け、従兄弟のアルフォンソ・フロイラスを追放した。926年以降、ミーニョ川とモンデゴ川の間の地域である、ポルトガル北部の統治を行った。929年、長兄であるガリシア王サンチョが亡くなると、サモーラにおいてガリシア王としてラミロが即位した。
931年、兄アルフォンソ4世の退位を受けてラミロが即位した。932年、新王はサモーラへ移動し、新たな軍隊を編成した。後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世軍に包囲されているトレドを救うためであった。しかしその間にアルフォンソ4世が復位を企んで支持者を獲得し、反乱を起こしたため兄を捕らえた。精力的で妥協を知らないラミロはカスティーリャ伯フェルナン・ゴンサレス、パンプローナ王(ナバラ王)サンチョ1世の協力を得て、わずか数日のうちに状況を変えた。アルフォンソ4世の反乱の共謀者であったアルフォンソ・フロイラスと兄弟たちを捕らえ、兄とフロイラス兄弟ら4人の目を潰させ、ルイフォルコ修道院に死ぬまで幽閉させた。
王位を確固たるものとしたラミロ2世は、王国南部が接するムスリムの土地への侵攻を続けた。932年、マルジェリト(現在のマドリード)侵略を開始し、トレドを解放した。しかしアブド・アッラフマーン3世がずっと前にタホ川右岸の要塞を占領しており、8月2日にアブド・アッラフマーン3世が意気揚々とトレドに入場している間、ラミロ2世はマドリードの要塞を解体し最寄の土地で略奪をできただけにすぎなかった。
彼は積極的にムスリムと戦った。スペイン史上最大規模の戦闘である939年のシマンカスの戦いにおいて、ナバラとレオンの連合軍はアブド・アッラフマーン3世軍を敗退させている。この勝利によって、レオンはドゥエロ川とトルメス川の辺境に領土を広げた。レデスマ、サラマンカといった土地に再植民が行われた。
ラミロ2世の治世の晩年は、独立を求めるカスティーリャ伯フェルナン・ゴンサレスに対処しなければならなかった。フェルナン・ゴンサレスはそれまでラミロ2世の右腕であったが、後ウマイヤ朝カリフとの停戦協定に違反して略奪を行い、ラミロ2世の怒りを買った。フェルナン・ゴンサレスは捕らえられ獄につながれたが後にレオン王の宗主権を認めて釈放され、和解のしるしとして娘ウラカをラミロ2世の後継者であるオルドーニョ(後のオルドーニョ3世)と結婚させた。
しかし釈放後にフェルナン・ゴンサレスはカスティーリャ東部に逃れてカスティーリャ伯である自らの権利を主張し続けた。これらの内部対立がレオン王国を弱体化させ、キリスト教徒に罰を与えようとするムスリムに利用されることになった。
950年、ラミロ2世はサモーラからムスリムの土地への新たな遠征に出発し、テージョ川谷において略奪遠征を行った。そしてタラベラ・デ・ラ・レイナでイスラム軍を敗走させ、12000人のムスリムを殺害し7000人を捕虜とし、豊富な戦利品を得た。
体力の衰えたラミロ2世は、後継者オルドーニョ王子に実務をゆだねた。彼はオビエドへの旅行から戻っても病状が回復せず、深刻な病気に苦しんだ。彼は人生の最後に自発的に王位から降り、951年に死んだ。
子女
最初の妃アドシンダ・グティエレスとの間に、3子をもうけた。
- ベルムード
- オルドーニョ3世[1](926年頃 - 956年) - レオン王(951年 - 956年)
- テレサ(928年 - 957年) - ナバラ王ガルシア・サンチェス1世妃
教会法によってアドシンダとの結婚が無効となると、932年にパンプローナ王(ナバラ王)サンチョ1世の娘ウラカ・サンチェスと結婚した。
脚注
参考文献
- Rodríguez Fernández, Justiniano Ramiro II, rey de León Burgos: La Olmeda. 1998. ISBN 84-89915-01-6.
「Ramiro II of León」の例文・使い方・用例・文例
- フェーズIとフェーズIIで許容副作用を伴い効果的であることが示される治療あるいは薬品の大規模な臨床試験
- 1228年から1229年までの十字軍は、病気になった神聖ローマ帝国皇帝フレディリックIIで導いて、法王によって破門されました
- 330,000人の連合軍隊が敵火の下で絶望的な退却において、北フランスの浜辺から避難しなければならなかった世界大戦IIの陸海空共同の避難(1940年)
- 腎臓にアンジオテンシンIIができるのを阻止し、動脈を弛緩してくれる抗高血圧薬
- アンジオテンシンIIへのさきがけであるアンジオテンシンの生理学的に不活発な形態
- 高血圧を治療するのに用いられるアンギオテンシンII抑制剤
- ASCII文字セットは最も一般的に用いられている文字セットである
- 王を補足したと考えられるI歴代志とII歴代志の旧約聖書の旧名
- ウルガタ聖書(IIエスドラス書を除いて)に含まれるが、ユダヤやプロテスタント版の聖書では省略される旧約聖書の14冊
- I歴代志、II歴代志、エズラ、およびネヘマイアからの編集から成る外典
- フレディリック神聖ローマ帝国皇帝IIを破門して、聖地に対して新しい十字軍を計画していた1245年の西方教会の協議会
- キャサリンIIの愛人であり、1762年に彼女が権力を握る支援を行ったロシアの役員で政治家
- 遺伝的に第VIII因子が欠乏するために生じる血友病
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- 血液凝固において、トロンビンは第XIII因子をフィブリンが分解しにくい凝血塊の形成を引き起こす(フィブリナーゼ)活性型に触媒する
- パーシングIIというミサイル
- SALTII条約という2国間軍縮条約
- SALTII条約という2国間軍縮条約の内容
- 宇宙開発事業団と航空宇宙技術研究所は,2004年にH-IIAロケットでHOPE-Xを打ち上げる計画をしていた。
- 72歳の映画監督と彼の息子は,9月25日,新作映画「バトル・ロワイアルII」の製作を発表するため,記者会見を行った。
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