Newton誕生前夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 07:42 UTC 版)
「Apple Newton」の記事における「Newton誕生前夜」の解説
Newtonは、(同時期にAppleのスピンアウトしたプロジェクトGeneral Magicと違って)そもそもは携帯情報端末(PDA)を目指していたのではなかった。Newtonの時代にはそのような分類すらなく、PDAとは、ジョン・スカリーが開発の後期に作り出した言葉である。Newtonが目指したものは、パーソナルコンピューティングの完全なる再発明であった。開発の大半の期間は、大きなスクリーンを備え、大量のRAMを搭載し、高機能なオブジェクト指向グラフィックスカーネルを用いて行われていた。当初の開発目標の一つとして「建築家向けシステム」があった。これは、住宅の机上設計を顧客と行う際に、二次元の設計図を簡単にスケッチし、清書し、修正してゆくことができるというものである。 Newtonの開発の主要な時期(およそ中盤の1/3くらいの頃)、主要な開発言語は"Dylan"であった。この言語は小型で効率的なオブジェクト指向LISPの一種で、今日ではわずかにマイナーなコミュニティで用いられている。その時代性から考えるにDylanには十分な効率性があったが、Newtonが巨大なものになってしまうことは受け入れられなかった(また、非LISP開発者たちにも受け入れ難いものであった)。Newtonがより小さいサイズで再設計された時、Dylanは「バウハウス・プロジェクト」の「実験項目」に格下げになり、その内捨て去られてしまった。 興味深いことに、Dylanの特徴であるガベージコレクション機能とOSとの密接な結合は、マイクロソフトによるコード管理の革命を10年も先取りしたであろうものである。 パーソナルコンピューティングの再発明を行い、現代的なアプリケーションプログラミングをやりなおすという当初の目標のせいで、プロジェクトは空転し、這い進むような進行状況になり、Macintoshの売上を食いつぶすおそれが広がっていった。NewtonはあらためてMacintoshの機能を補完する周辺機器として再設計されることとなった。そしてNewtonのマーケット担当者がジョン・スカリーを追いつめて、PDA、つまり携帯専用という視点を吹き込んだ。これによりNewtonの歴史は劇的に変貌を遂げる。
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