リヴォニア帯剣騎士団
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 20:46 UTC 版)
リヴォニア帯剣騎士団、正式名称リヴォニアのキリスト騎士修道会(羅:Fratres Militie Christi de Livonia, 独:Schwertbrüderorden)は、騎士修道会の一つ。刀剣騎士修道会とも呼ばれる。1202年に設立、1237年にドイツ騎士団に吸収された。
歴史
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リーヴ人 |
バルト人 |
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北方十字軍 |
テッラ・マリアナ / リヴォニア (1207–1561) |
リヴォニア帯剣騎士団 |
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ラトビア・ソビエト社会主義共和国 (1940-1990) |
ラトビア共和国 (1990-) |
現在のラトビアからエストニアにかけて位置するリヴォニアでは、キリスト教徒と現地の異教徒との軋轢は日に日に高まり小競り合いも頻発していた。そんな中、1199年にリヴォニア司教区の司教に任命されたシトー会のアルベルトは、教皇インノケンティウス3世に十字軍の許可を願い出る。アルベルトは十字軍兵士を集め、1200年3月にリガに移動し、十字軍の力によりその周辺の異教徒リーヴ人を服属させる。
アルベルトはリーヴ人を使役してリガを増築し、1201年に自分のリヴォニア司教座の位置を以前のエクスキュルからリガに移転させる[1]。翌1202年にアルベルトはリガ城を本拠地とするリヴォニア帯剣騎士団を設立した[2][3]。当初の騎士団のメンバーはリガまで連れてきた十字軍兵士から勧誘され、入団した人間は永続的にリガに留まり防備に従事した[3]。
彼らの活動によりリヴォニアはあらかた征服され、エストニアの支配権を巡ってスウェーデンと争った。デンマーク王ヴァルデマー2世の支援を受けた騎士団はバルト海に浮かぶエストニア人が居住する島々と北部エストニアを占領し、1230年にデンマークが領有していたレヴァル(タリン)を占領した[4]。
騎士団はローマ教皇から正式な認可を受けて征服活動は正当化され、エストニア土着の部族は騎士団の征服に激しく抵抗した[5]。また、征服地の領有を巡って騎士団とアルベルトが対立し、インノケンティウス3世からの仲介を受けた[6]。しかし、征服した異教徒への過酷な搾取や、過度に残忍な戦いぶりや非道さはローマ教会でも問題になるほどであり、あげくそれを掣肘しようとした教皇特使にも狼藉を加えた[7]。
1236年にリトアニアのザウレ(シャウレイ)にてリトアニア軍と戦い、総長フォークウィンを含む大勢の騎士が戦死する惨敗を喫し(ザウレの戦い)、翌年1237年にはドイツ騎士団に吸収合併され、リヴォニア騎士団として自治的な分団の地位に置かれた[8][9]。
組織
この騎士団の目的は、バルト三国周辺の異教徒達を服属させカトリックに改宗させることと、在留クリスチャンや宣教師(伝道者)を保護することである[10]。この点で、聖地エルサレムの守護・奪回や巡礼者の保護を目的としている他の騎士修道会とは本質的に異なっていた[11]。
団員は白いマントを身に纏い、教皇インノケンティウス3世より賜った赤い剣と小さな十字の紋章を左肩につけていた。この剣の紋章が、この騎士団の呼称につけられる「帯剣」あるいは「刀剣」の語の由来である[11]。
基本的な規則と内部構造はテンプル騎士団と同じく、騎士、聖職者、一般兵・職人の3階層に分かれていた。他の騎士修道会とは違い、騎士修道会の総長のさらに上位にリガ司教が君臨していた[11]が、騎士団独自の政治的・財政的基盤を得るなどして、次第に自立化傾向を強めていった。
脚注
- ^ 山内『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』、113頁
- ^ 志摩『物語バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』、31-32頁
- ^ a b 山内『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』、114頁
- ^ 志摩『物語バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』、32頁
- ^ 志摩『物語バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』、32-33頁
- ^ 山内『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』、143-144頁
- ^ 山内『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』、144-145頁
- ^ 山内『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』、145-147頁
- ^ 志摩『物語バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』、33-34頁
- ^ 山内『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』、115,142頁
- ^ a b c 山内『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』、115頁
参考文献
- 志摩園子『物語バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』(中公新書, 中央公論新社, 2004年7月)
- 山内進『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』(講談社選書メチエ, 講談社, 1997年9月)
関連項目
「Livonian Brothers of the Sword」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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