マクドナルド・ロス(John Ross Macdonald)
本名ケネスミラー。1915年(大4)、アメリカのカリフォルニア州ロスガトス生まれ。ミシガン大学院卒の哲学博士号を持つ。西オンタリオ大学に在学中にマーガレットミラーと結婚。
1944年(昭19)、本名名義で「暗いトンネル」を発表。
1946年(昭21)、「トラブルは我が影法師」を発表。
1946年(昭21)、「女を探せ」が「エラリークイーンズミステリマガジン」の第一回短編コンテストに四席入賞。
1949年(昭24)、「動く標的」を発表。
1951年(昭26)、「人の死に行く道」を発表。1954年(昭29)には中田耕治によってこの作品が初訳出される。
1953年(昭28)、「死体置場で会おう」を発表。
1954年(昭29)、「犠牲者は誰だ」を発表。
それまではジョンマクドナルドやジョンロスマクドナルド名義で作品を発表していたが、ジョンDマクドナルドから紛らわしいとの抗議を受け、1956年(昭31)の「兇悪の浜」からはロスマクドナルドに統一。
1958年(昭33)、「運命の裁き」を発表。
1959年(昭34)、「ギャルトン事件」を発表。
1962年(昭37)、「縞模様の霊柩車」を発表。
1964年(昭39)、「さむけ」を発表し、イギリス推理作家協会シルヴァータガー賞を受賞。
1965年(昭40)に発表した「ドルの向こう側」で、イギリス推理作家協会ゴールドタガー賞を受賞。
1965年(昭40)、アメリカ探偵作家クラブの会長に就任。
1973年(昭48)、「眠れる美女」を発表。
1974年(昭49)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞。
1983年(昭58)、死去。
「John Ross Macdonald」の例文・使い方・用例・文例
- John AbrahamsとTina Linがアンケートデータの収集担当で、この作業は5 月5 日までに終わるでしょう。
- 今日は、皆さんをJohn Driscoll展にご案内する予定で、この展覧会は当美術館の30周年を記念して行われているものです。
- John Smith という名の英国人だ
- そんな英語を使うと Johnson が泣く
- 限定属格の例として、『John's mother(ジョンの母親)』における『John's(ジョンの)』がある
- 『John and Mary(ジョンとメアリー)』または『John walked and Mary rode(ジョンは歩き、そして、メアリーは乗り物に乗った)』における『and』、等位接続詞である;そして、『will you go or stay?(行くか、いてもらえますか?)』における『or』もそうである
- 『who visits frequently(その人はしばしば訪れる)』は、『John, who visits frequently, is ill(しばしば訪れるジョンは病気である)』の文の関係節である
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