HMの生い立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:49 UTC 版)
「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の記事における「HMの生い立ち」の解説
HMは7人兄弟の家に第4子として生まれたが、父親は元暴力団員で、母親もたばこを咥えながらゲームセンターに入り浸るような人物だった。生活はかなり貧しく、小学校時代は汚らわしい服装をしていたことなどを理由に激しいいじめを受け、次第に女手1つでHMたちを育てていた母親も家事をほとんどしなくなった。 小学校4年生になった1985年(昭和60年)ごろからは少年野球に打ち込み、大阪市内の少年野球チームに捕手として所属していたが、このチームの後輩には後にパ・リーグで強打者として活躍した元プロ野球選手(2017年時点で30歳代)がいる。少年野球チームでは人の良いコーチを兄のように慕い、試合・練習にも熱心に取り組んでいたが、その一方で小学校6年生ごろからは「いじめや家庭の問題を忘れられる」とシンナーを常習するようになった。1988年3月に小学校を卒業したが、中学校入学直後から不登校になり、西成区内の建設現場で働きながら暮らしたこともあった。中学校2年生だった1989年(平成元年)ごろには母親が失踪し、同年8月には窃盗で補導され、9月以降は教護院に入院した。さらに1990年(平成2年)8月には窃盗の非行で初等少年院に送致され、父親と死別した1991年9月に少年院を仮退院して父親が勤務していた運輸会社に就職したが短期間で辞め、その後も職を転々としながら非行を重ねた。 1992年10月には窃盗・恐喝・傷害・道路交通法違反などの非行により中等少年院へ送致された。一方で中等少年院へ送致されるまでの期間に女性と同棲し、少年院入院中の1992年には長男が誕生した。1993年(平成3年)9月に少年院を仮退院してからは兵庫県神戸市内でパチンコ店店員・鉄筋工として働き、1994年5月にはかねてから交際していた女性と婚姻して誕生した子供(長男)を認知した。しかしその後はホストクラブに勤めて多数の女性と交友し、妻子を顧みなかったため、同年8月に離婚した。
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