FRBの流動性供給・通貨スワップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:19 UTC 版)
「世界金融危機 (2007年-2010年)」の記事における「FRBの流動性供給・通貨スワップ」の解説
2007年にはヨーロッパのホールセール資金調達市場が不振であり、欧州中央銀行(ECB)やイングランド銀行(BOE)は資金を注入した。しかし注入できる通貨はユーロやポンドであり、ドルが求められていた。金融危機の間はドルの調達が困難であり、ヨーロッパ系銀行は資金調達に苦しんだ。FRB議長のベン・バーナンキはヨーロッパ系銀行がドルの資金調達を求めていることを理解し、FRBはドル建てのポートフォリオを維持するために2008年秋からドルで流動性ファシリティ(信用供与契約)を始めた。FRBによる供与は、レポ取引、ABCP、MBS、通貨スワップなどシャドー・バンキングに関わるものに結びついており、内部関係者は契約についての難解な頭字語をまとめて「ホビット族」と呼んだ。 2008年9月18日には日米欧の6中央銀行が通貨スワップ協定による大量のドル供給を開始した。その後、個別にドル資金供給を行っていた9中央銀行を含め計15中央銀行がドル供給を10月末まで延長した。通貨スワップの協定によって、ドル・ユーロ・ポンドの通貨危機は防がれた。FRBは緊急支援に加えて、2009年にはQE1と呼ばれる量的緩和も行った。FRBが受け入れたMBSの52%がヨーロッパを中心とする国外の銀行であり、FRBは国外の銀行に対する最後の貸し手として機能した。しかし、FRBの2007年から2009年にかけての流動性供給は当時は極秘とされ、2010年にドッド=フランク法や情報公開訴訟をきっかけに公開された。 FRBによる拡充とは別に、他の地域においても金融危機対策として通貨スワップが行われた。ユーロのスワップ協定はECBによってスイス、デンマーク、ハンガリー、ポーランドに拡充された。SNBはスイスフランのスワップ協定を締結した。ブラジル・アルゼンチンや、中国・韓国は自国通貨同士のスワップ協定を締結した。中国は他にも香港、マレーシア、ベラルーシ、インドネシア、アルゼンチンとスワップ協定を結んだ。アジアでは、アジア通貨危機の時に結ばれたチェンマイ・イニシアティブにもとづいて複数国間の契約が実現した。
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