FRB議長・財務長官時代
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「ウィリアム・ミラー」の記事における「FRB議長・財務長官時代」の解説
1978年3月8日にアーサー・バーンズの後任として、カーター政権のFRB議長に就任する。就任当初は実業界出身ということもあり、悪性インフレ撲滅のために積極的な利上げを行った。しかし、翌1979年年明け以降早急な利上げに反対する議員から議会で吊し上げに遭い、利下げに転じてしまった。1979年8月にポール・ボルカーに後任を譲り、FRB議長としては1年5ヶ月余りという極めて短期間の在任であった。政治的圧力に屈して利下げに転じたことから、FRB議長として低く評価されているが、前任のバーンズと違い積極的に利上げを行ったことにより、ボルカーによる利上げの地均しになったと評価する人もいる。他の多くの議長と違い中央銀行出身者で無く、政治経験も無かったため、金利政策以外の政策の重要性を看過し、金利政策にのみ固執してしまい適切な金融政策を実効できず、また政界工作の重要性を認識していなかったため短命に終わってしまった。 1979年8月にマイケル・ブルーメンソールの後任として財務長官に転じる。財務長官としては、経営危機に陥っていたアメリカの自動車大手クライスラーを救済するため、同社に対して15億ドルの政府融資保証を取りまとめた。クライスラーはこの融資によって回復し、1980年代始めには政府融資を完全返却するまでになった。 2006年3月17日夜に特発性肺線維症のため、ワシントンD.C.の自宅で死去した。81歳であった。
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