DREAM/K-1
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「DJ.taiki」の記事における「DREAM/K-1」の解説
2009年4月5日、DREAM.8のフェザー級グランプリ1回戦の所英男に判定勝ちを収めた。しかし、この試合で右眼窩底および眼窩壁を骨折し、ドクターストップとなり、2回戦には所が出場することになった。 2009年10月6日、DREAM.11のフェザー級GPリザーブマッチにて宮田和幸と対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2010年3月27日、K-1初出場となったK-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜にて渡辺一久と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。 2010年5月2日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-63kg Japan Tournament 1st Round〜で久保優太と対戦し、0-3の判定負けを喫した。 2010年11月23日、シュートボクシング初出場となったSHOOT BOXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2010にて及川知浩と対戦し、2Rにフック連打によるKO勝ちを収めた。 2011年6月19日、TENKAICHI Super Fightで全沖縄ミドル級王者廣虎と対戦し、2R後半にスタンディングダウンを奪われるなどして0-3の判定負けを喫した。 2012年4月7日、DEEP CAGE IMPACT 2012 in TOKYOでTAISHOと対戦。2Rに両者のカット(TAISHOは額、DJ.taikiは目の上)により、2R終了時に両選手試合続行不可能と判断されてドクターストップ。2Rまでの判定によりDJの勝利と裁定された。しかし試合後、TAISHO陣営から「両者ドクターストップが妥当」である旨の訴えが提起され、DEEP主催者において協議を重ねた結果、両者ドクターストップによる引き分けと試合結果が変更された。 2012年12月8日、DEEP CAGE IMPACT 2012 in TOKYO 2nd ROUNDでバンタム級次期挑戦者決定トーナメントの1回戦として原田ヨシキと対戦し、3RTKO勝ちを収めた。 2013年2月16日、DEEP 61 IMPACTで北田俊亮と対戦し、判定勝ちでバンタム級次期挑戦者への切符を手にした。 2013年4月26日、DEEP 62 IMPACTのバンタム級タイトルマッチで王者の前田吉朗と再戦し、1Rにダウンを奪われ、その後の記憶がほぼなくなるほどのダメージを負ったが、2Rにダウンを奪い返し、そのままパウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。試合後には試合前に発言していた通り引退を表明した。 引退後、語学留学のためアメリカのサンディエゴへ渡る。 留学先のアメリカのスポーツバーでUFCの試合に熱狂する一般人を目の当たりにし、UFC出場を目指して現役復帰を決意。 当初はラスベガスでトレーニングを行っていたが、UFCとVTJの提携および選手育成プロジェクトの発足、同プロジェクトにおけるUFC出場をかけたトーナメントの開催を知り日本へ帰国。しかしトーナメントの開催日程が未定であったためDEEP代表佐伯繁やVTJと相談をした結果、長期ブランクが査定上不利になると判断してファイターとして健在であることを示すために10月26日開催の「DEEP 69 IMPACT」にて現役復帰することとなった。
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