CNAによる検討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 01:05 UTC 版)
「タラワ級強襲揚陸艦」の記事における「CNAによる検討」の解説
この情勢を踏まえて、1964年11月、海軍作戦部長は海軍分析センター(CNA)に対し、1980年代に向けて必要な水陸両用作戦能力についての研究を依頼した。この研究を通じて、CNAはLPHとLPDを統合した新型艦を検討するようになり、1965年2月23日、艦船局(BuShips)に対して大型で多用途性が高い揚陸艦の試案作成を依頼した。1965年3月31日に提出された報告では、満載排水量49,200トン、イオー・ジマ級よりも一回り大きな飛行甲板の下にLPDと同様のウェルドックが設けられ、その前方を車両・資機材の搭載スペースとしており、LPH、AKA、LSD、そしてLSTをも代替しうるものとされていた。 海兵隊は、この設計ではウェルドックへの依存が大きすぎて冗長性に乏しく、例えばドックの後部ハッチが故障すると作戦全体に支障をきたすことに難色を示した。一方、作戦部長府(OpNav)は複数艦を少数の大型艦に統合することによるコスト低減を評価しており、基本計画審議委員会(SCB)は、艦船局に対し、更にいくつかの試案を作成するように命じた。これらの検討を経て、この新型艦はLHA (Landing helicopter assault) と称されるようになり、1966年7月より正式な計画が開始された。 従来であれば艦船局の試案がそのまま設計案に発展するが、当時のロバート・マクナマラ国防長官は、航空機と同様、艦船の設計もできるかぎり民間に委任することで効率化できると考えており、要求仕様を提示するのではなく、提案依頼書(RFP)に基づいて事業者側からの提案を競合させるという調達方式が採用された。1967年2月には全体開発計画(total development program, TDP)が承認され、1968年7月には、リットン・インダストリーズが受注を獲得した。これによって建造されたのが本級である。
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