CD-ROM2の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 13:41 UTC 版)
「PCエンジン」の記事における「CD-ROM2の開発」の解説
上記の通りNECからハドソンにもたらされたCD-ROM機開発計画であるが、PCエンジン発売後1年でCD-ROM2本体として発売されることになった。当時パソコン用のCD-ROMドライブは本体接続用のインターフェースと合わせて25万円もしていたが、価格を5万7800円に落とすことで、家庭用ゲームへの採用を可能にした。搭載されたRAMの容量はメイン64KB、ADPCM用64KBだった。このため大きなデータを一度に取り込めず、凝った演出を行うために頻繁なロードが必要だったが、この問題点は後にスーパーCDROM2、アーケードカードへとRAM容量が拡張されることで解決していった。 シークに片道で3秒、往復で最大6秒かかるため、複数のファイルをバラバラに読ませる、読み取り時にエラーが発生するなどの状況下では実用性に問題が出るほど時間がかかった。ゲームの進行などで一部のデータだけが変更される事象が起こった場合、差分をバラバラに読むのではなく「それらをひとまとめにしたファイルを進行毎に用意してシークをなるべくさせないで一度に読み込む」方式を採用した。データの二重保存と合わせてCD-ROM内でデータトラックが占める割合が大幅に増すことになったが、CD-ROM自体が大容量であったのでこのような対処が可能であった。 CD-ROM2の発売以前、ハドソンの朝礼の時に中本伸一がCDを持ってきて「お前ら、この中にゲームが入るから」と発言したがハドソンの他の開発者たちは当時「CD=音楽CD」という知識しか無く、中本が何を言っているのか分からなかったという。このようにハドソン社内でも具体的な形になるまでは開発情報の公開に制限がかかっていたという話がある。 システムカードがバージョン2.0以降の物からはCD-G (CDグラフィック)に対応する様になり、カラオケ用の再生プレーヤーとしても利用が可能となった。
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