プレーヤーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/14 08:23 UTC 版)
「オールドトムモリス」の記事における「プレーヤーとして」の解説
モリスはグリーンキーパー、クラブ製造者、ボール製造者、ゴルフインストラクター、コース設計者として仕事をしていたが、もちろんゴルフのトーナメントプレーヤーでもあった。1860年の第1回全英オープンでは準優勝し、翌年には優勝した。さらに翌1862年、1864年、1867年にも優勝し、今でも46歳での優勝は最年長記録である。また、優勝と準優勝を分け合ったことのある唯一の父子の片割れでもある。 1862年の全英オープンにおける2位との打数差14ストロークでの優勝は、2000年の全米オープンでタイガー・ウッズが15打差で優勝するまでメジャー大会の記録だった。オールドコースで2番目にスコア80を切った(79打、1番目はロバートソン)プレーヤーとしても記録されている。1860年代中ごろには、息子であるヤングトムモリスが10歳代半ばにして頭角を現しており、父子でボールを交互に打つチャレンジマッチのチームを組み大いに成功した。この関係はヤングトムが死んだ1875年まで続いた。
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