7・4声明後の動きとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 7・4声明後の動きの意味・解説 

7・4声明後の動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 13:59 UTC 版)

南北共同声明」の記事における「7・4声明後の動き」の解説

7・4共同声明国内外に「画期的な出来事」として歓迎され朴大統領与党である民主共和党(以下、共和党)は支持する声明発表した。しかし一方で政府から何ら事前説明も受けなかったことに対する不満もあり、最大野党である新民党は「国会与野党何ら事前協議無く政権一方的な密談行われた」と非難する声明発表した声明南北緊張緩和ムード作り出される中、政府全軍主要指揮官会議開催7月7日)して軍の引き締めを図ると共に国民動揺や行過ぎた統一論議を抑えるため「流言飛語徹底的取締り」を実施、「北朝鮮スパイ団」の一味とされ1970年死刑判決受けていた前国会議員の金圭南(共和党)に対す死刑執行7月13日)した。 南北共同声明発表後1972年10月韓国朴正煕政権は「祖国の平和統一のための体制強化」を名目として十月維新開始独裁体制強化した一方北朝鮮金日成政権1972年12月27日新たに朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法制定金日成国家主席就任しやはり独裁体制強化した南北対話開始南北とも独裁体制強化材料として用いられ肝心南北対話1976年発生した板門店でのポプラ事件などの衝突厳し相互批判の中、1976年8月30日には南北直通通話切断されてしまうなど、1970年代後半には一旦ほぼ中断してしまった。 しかし南北対話その後も、盧泰愚政権下での南北基本合意書締結され、そして2000年6月金大中大統領と金正日国防委員長との間で南北首脳会談が行われるなど、紆余曲折ありながらも現在まで続けられている。

※この「7・4声明後の動き」の解説は、「南北共同声明」の解説の一部です。
「7・4声明後の動き」を含む「南北共同声明」の記事については、「南北共同声明」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「7・4声明後の動き」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「7・4声明後の動き」の関連用語

7・4声明後の動きのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



7・4声明後の動きのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの南北共同声明 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS