500SSマッハIII (H1)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 19:33 UTC 版)
「カワサキ・マッハ」の記事における「500SSマッハIII (H1)」の解説
北米における1966年のA1(サムライ、250cc)、翌年のA7(アベンジャー (Avenger) 、350cc)の成功で ZAPPER(Z1/Z900参照)指向を固めたカワサキは、絶対的な高加速度を持つ高出力車の開発を行い1969年はじめには対米輸出用の生産を開始した。日本では北米よりやや遅れて1969年9月より販売された。 発売当時の米国ではまだ過大な燃料消費とオイル消費や猛烈な白煙に寛大であり、低廉な車両価格(1,000ドル以下)と圧倒的な加速性能(カタログスペックでは0→100mで約4秒)で販売成績も好調であった。しかし、操縦性においては少ない前輪荷重などが災いし、万人向けとは決していえないもので、他社種に比べ高い事故率を示すことがメディアで報道されるなど、「乗り手を選ぶ」バイクというイメージが世界各国で定着した。従来のタイヤでは500SSのパワーに耐え切れずテスト走行中にトレッド剥離が続発したため、ダンロップが新しくH規格のナイロンコードタイヤを500SSのために開発したほどであった。 1972年のZ1発表以降は、最高出力を下げマイルドな方向への性格付けが行われていった。そしてついに、1975年にKH500と名称変更した1976年モデルは排気ガス規制および騒音対策のため最高出力が 52ps と大幅ダウンされ、さらに、DOHC4気筒のZ650が同年発表になった段階において“ZAPPER”としての存在意義が希薄化し、カワサキもそれに抗うことなく1977年モデルをもって製造を終えた。 北米での広告には、同社で製造されていた0系新幹線(当時、世界最速の鉄道車両だった)が500SSと合わせて描かれており、「THE WORLD'S FASTEST PRODUCTION MOTORCYCLE」(世界最速の量産バイク)と記されていた。
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