4・5区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/24 15:01 UTC 版)
4区は西側北半分に位置する。9-10世紀を中心とする平安時代の住居跡39軒、溝状遺構、くぼち配石状遺構、土坑・ピット、12世紀の鍋被り葬遺構、鎌倉時代の竪穴式遺構、土器・陶器類、ウマ・ウシ骨、銅製錘のほか、弥生・古墳土器。住居跡は遺存状態が良く、焼失した屋根材も検出されている。製鉄に関わる遺構は見られない。牛馬骨は住居内や土坑、溝状遺構から検出されている。 土坑内から土師器小片に伴い出土した銅製錘は束腰形で、重量は59.9グラム。県内では初の出土事例で、束腰形の銅錘は全国的にも出土事例が少なく、畿内の国府・官衙施設などで出土している。重量が不定量であることから、分銅ではなく竿秤に用いられたものであると考えられている。 鍋被り葬遺構は集落外縁に近い北端の4号土坑から検出されており、土坑には表面と内部に切り込みが入れられ意図的に分割された鍋形土器が南北両側に配置されている。北側からは人骨片が検出されているが、遺存状態が悪く病変などは認められていない。脚部には人骨が検出されていないが、土器形式から12世紀代の遺構で、土坑の大きさから屈葬であると考えられている。鍋被り葬は中部・関東地方から東北地方にかけて見られる中近世の墓制で、ハンセン病など特定疾患を患った人物への墓制であるとする説が提唱されている。百々遺跡の事例は鍋被り葬の年代をはるかに遡るものであるが、県内では類例が皆無で、平安集落における墓制が確認された事例も少なく、十分な検討は行われていない。
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