2007年の噴火
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2007年10月16日、科学者が差し迫った噴火を予知し最高警戒レベルに引き上げた後、インドネシア当局はケルート山周辺の住民30,000人に避難を命じた。 ケルート山は2007年11月3日土曜日の現地時間午後3時頃噴火した。火山学と地質学による災害軽減のためのインドネシア政府のセンターによって噴火は確認された。火山の頂上で噴火が始まったとき雲に覆われていたため視覚的な確認は可能ではなかったが、インドネシア政府の火山学者は、火山性微動の測定値から噴火が進行中であること示していると述べた。350,000人以上の住民が10 km以内に住んでいた。インドネシア第2の都市で国の最も混雑する空港のあるスラバヤは、北西へ90 kmの位置にある。地元住民は10月中旬に家を離れるように命じられたが、多くが避難しなかったりその間に帰宅したりした。多くの村人が噴火が伝えられた後パニックになって逃げたと報じられた。しかし、土曜日の夕方早くインドネシア当局はその日の噴火は大変大きくは無かったと発表した。噴火口の近くにある地震計はまだ動作していた。科学者はベストな状態で小規模な噴火が示されたと述べた 。 しかし、11月4日日曜日の早朝、ケルート山は空中に500 mの高さまで火山灰を吐き出し、完全な噴火が起こったことを示した。 「噴火は終わっていない。」インドネシア火山地質災害防災局長のSaut Simatupangは述べた。火口を監視する地震学者は、ケルート山の火口湖の表面温度が11月3日に43.9 °Cだったが11月4日には60.7 °Cに上昇したと語った。15 mの水深で11月3日に45.9 °Cだった温度は11月4日には66.1 °Cに上昇した。極度の熱は蒸気と煙の雲を488 mの高さまで発生させた。 11月5日、蒸気と煙の新しい噴煙の柱を火口から噴出した。 沸騰したお湯は火口湖から山の側面を滝のようになって流れ下った。火口の近くにある地震計は作動を停止した。インドネシア当局は避難命令を無視して危険地帯におよそ25,000人が残ったと発表した。 次の日、山の頂上にある火口湖の中央に溶岩ドームが上昇し出現した。 監視カメラは100 mの長さの楕円形の島が湖面上から約20 m押し上げられているのを映した。火山は大気中へ高度1 kmに達する噴煙を放出し続けた。 しかし煙や灰を噴出した48時間後溶岩は無かったため、インドネシア当局は11月8日に噴火は当面は無いと宣言した。当局は火山が前世紀に何度も噴火したように爆発しそうであったことと、「緩やかな噴火」を起こしていたと発表した。 11月12日にケルート山は火口湖の中に溶岩を噴出し始めた。250 mの長さと120 mの高さに拡大していた溶岩ドームは開いて割れて、溶岩が周囲の水の中に滲み出始めた。煙は空中に2 km以上の高さに立ち上った。そして火山灰は火山の周囲のいくつかの村に降り注いだ。11月14日、煙は空中に2.5 kmの高さにまで上がり大きくうねっていた。軽灰は15 km離れた村々を覆った。溶岩ドームは火口湖を埋めた。
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