2003年-現在: さよならツアーおよび再結成
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「アラバマ (バンド)」の記事における「2003年-現在: さよならツアーおよび再結成」の解説
2002年5月のCMAアワード授賞式において、40公演のアメリカでさよならツアー、スペシャル・イベント、スペシャル・テレビ番組を行なうことを発表した。オウエンは「これには様々な理由があり、それにはとてもプライベートなこともある。バンドが完全なまま尊厳を持ったまま終わらせる」と語った。オウエンはのちに、20年間ツアーやレコーディングを続けて過労であり、メンバーそれぞれ時間が必要だったと語った。開幕前にすでに1,500万ドルの興行収入をあげ、2003年6月から11月まで数々のアリーナで演奏を行なった。ファンの熱い要望とチケット売り上げの高さにより、2004年2月から6月まで30公演が追加された。2004年10月、ノースダコタ州ビスマークにて最終公演を行ない、ハーンドンは冗談で「仕事をくれ」と語った。その後、オウエンはソロで活動し、クックとオールスター・グッドタイム・バンドはジェントリーと共にプロデューサー業およびバンドのロキット・シティで活動した。 ハーンドンと他のメンバーは活動中あまりうまくいっていなかった。バンドの写真撮影に参加し、ファンクラブ会報や博物館に彼の写真が展示されてもオウエンは彼を正式なメンバーではないと語った。オウエンはハーンドンがバンドの写真に参加していたのは単にレコード会社の戦略で、ハーンドンはバンドに雇われていただけでありメンバーではないとした。2008年5月、他のメンバーがドラム奏者のマーク・ハーンドンを相手取り、賃金過剰払いとして202,670ドルの返還を求めた。これは純利益であるとして、会計処理が終わる前にハーンドンに与えられたものとされたがハーンドンはこれを否定した。バンドはこれまでハーンドンを訴えなかったが、ハーンドンが自分も演奏していたにも関わらず得られていなかった複数のライヴ・アルバムや曲の利益を要求した後、バンドは彼を訴えた。オウエンはRCAがハーンドンを加入させることでビートルズと似たイメージが得られると考えたのだろうと語った。これらのトラブルに関わらず、のちのインタビューで彼はいやな気分をしたことはないと語った。 2010年、オウエンは前立腺癌と診断されたが、再結成に際して健康証明書が提出された。この再結成にはハーンドンは含まれていない。2011年4月下旬の度重なる竜巻により数々の家屋や事業が崩壊したため、アラバマ州バーミングハムでチャリティ・コンサート『Bama Rising 』を開催した。ルーク・ブライアン、シェリル・クロウ、ブラッド・ペイズリーと共演し、2004年のコンサートの曲目を主に演奏して210万ドルをあげた。ジェントリーは「私たちは共に演奏していないと寂しいことに気付いたのだと思う。5、6年が過ぎて「以前のようにやるのも悪くないんじゃないか」と思ったんだ」と語った。2013年、40周年を祝してツアー『Back to the Bowery 』を開始し、彼らがプロのミュージシャンとして活動を始めたマートルビーチのクラブ、バウリーの名を冠した。またバハマへ向けた船上パーティ『The Alabama & Friends Festival at Sea 』 も行なった。同年8月、2曲の新曲を含み、ジェイソン・アルディーン、フロリダ・ジョージア・ラインなど近年のアーティストも参加したトリビュート・アルバム『Alabama & Friends 』が出版された。
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