2003年の橋
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旧橋は重量制限がある上、荒川の水量が増すと通行できなくなり、幅が狭く片側交互通行であるなど問題があり、第59回国民体育大会(彩の国まごころ国体)のアクセス道路整備事業として、架け替えが計画された。総事業費125億円を投じて1996年(平成8年)に着工し、2001年(平成13年)に完工され、2003年(平成15年)6月15日午後5時30分に開通した。橋の架設工法としてトラッククレーンベント工法、および横取り工法が用いられた。開通式は同日午後に橋上で行われ、埼玉県知事と熊谷市長、大里町長の3人やその関係者が出席される中、テープカットやくす玉割りが執り行われ、沖縄舞踏愛好会による沖縄舞踏の他、久下小学校の児童による久下の伝統的な踊りである長土手音頭が披露される中、渡り初めが行われた。橋の北詰で一体で整備されたJR高崎線の跨線橋に直結する。現行の橋は旧橋より約500メートル川下に位置し、全長778.000メートル、総幅員11.750メートル、有効幅員10.250メートル(車道7.250メートル、歩道3.000メートル、車道と歩道の間の縁石の幅を含めると幅員10.75メートルになる)、最大支間長120.000メートル、前後のアプローチ区間である陸橋を含めると総延長2,462メートルになる。橋面は車道側に1.5パーセント、歩道側に2.0パーセントの横断勾配が付けられている。 東側、左岸から 西側、右岸から 大里地区方面を望む
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2003年の橋
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架け替え工事は1993年(平成5年)に着手、2003年(平成15年)3月に開通した。架け替え中、人道橋のあった位置に一時的に架設された仮設橋はその後、横浜市の鶴見川に架かる「潮見橋」の仮設橋に転用された。
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