2002年大統領選挙
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「アルバロ・ウリベ」の記事における「2002年大統領選挙」の解説
前大統領アンドレス・パストラーナの任期中の4年間で対ゲリラ政策である平和的プロセスに向けた和平交渉やゲリラそのものへの支持が減る中で、アナリストは政治的なムードがかわったと考えた。常に自由党内で活動してきたウリベは2002年の大統領選挙に独立した候補者のように現われた。主要な候補者は自由党の代表で前の蔵相だったオラシオ・セルパ、前の外相で Movimiento Sí Colombia のノエミ・サニン、独立民主極の代表ルイス・エドゥアルド・ガルソンがいた。何人かのリベラル系の候補および保守党の候補ファン・カミロ・レストレポなどは立候補を辞退しウリベの支援に回った。 少なくとも選挙の1年前まではアルバロ・ウリベの有権者の支持率は2%以下で事実上自由党のオラシオ・セルパが勝利するだろうと予想されていた。しかし和平交渉の頓挫を受けて、「潜在的に国内の反乱に対応できる『実行可能なセキュリティプログラム』を持つ候補」はウリベであるというそのキャンペーンが功を奏し始めた。酷似したプログラムを提案していた前将軍のアロルド・ベドヤ・ピザロ候補はウリベに合流した。 ウリベの選挙演説はコロンビアの主要なゲリラであるFARCとの対決にかかる政策が中心であった。その他の政策は歳出削減、腐敗と戦う、国の政治的・経済的関心事のいくつかのものを解決するために国民投票を提案する、であった。 非公式に自由党から離れ独立系リベラル候補として選挙戦に臨んでいたウリベは、2002年5月26日の第1次投票で53%の得票で大統領に選ばれた。ウリベのパートナー、フランシスコ・サントス・カルデロンは自由党の名門サントス家の出でコロンビア最大の日刊紙『エル・ティエンポ』の所有者であった。オラシオ・セルパの得票は31.8%だった。 選挙管理者は大統領選挙には全国的には不正がほとんどなかったという見解を示した。しかし実際には投票者や対立候補への準軍組織やゲリラからの威嚇が頻繁に起きていた実例が挙がっている。有権者の投票率は46.8%であり、選挙前から投票率が低下していた。 いくつかのウリベの反対者はウリベのキャンペーンに対し、彼を告発した。特にオラシオ・セルパの演説や同年にウリベを取材したニューズウィーク誌のジョセフ・コントレラスの記事である。非難が特に対象としたのはウリベがメデジン・カルテルの成員と個人的な関係があったという過去の事実及び複数の準軍組織の広報者が公然とウリベ候補を支持していたことである。そのような告発はウリベとその支持者により否定あるいは黙殺された。批評家もそれに対しコメントも法的処置も執ることはなかった。
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