「ウリ党」の誕生
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「韓国における政党史」の記事における「「ウリ党」の誕生」の解説
2002年大統領選挙で勝利した盧武鉉であったが、野党ハンナラ党が過半数を占めていた上、与党であるべき(新千年)民主党では非主流派に位置し基盤が脆弱であったため、党内をまとめあげることが出来なかった。そのため、政権発足直後から新主流派(親盧武鉉)と旧主流派(親金大中)との間で確執が続き、新主流派は2003年9月20日にハンナラ党から離党した議員と共に院内交渉団体「国民参与統合新党」(統合新党)を結成し、分党する事態となった。そして盧武鉉大統領も29日に民主党を離党した。統合新党は柳時敏らの改革国民政党や民主党からの離党者を加えて11月11日に結成党大会を開催し「開かれたウリ党」(ウリ党)となった。しかしウリ党の所属議員は47名で、国会内ではハンナラ党と民主党に次ぐ第3党で3分の1にも満たなかった。 表15:盧武鉉政権発足後における国会交渉団体議席数変動交渉団体(党派)第235回(1月28日)第243回(12月9日)備考ハンナラ党 151 149 民主党 103 60 開かれたウリ党 - 47 9月20日、「国民参与統合新党」として登録。 10月24日、「開かれたウリ党準備委員会」に名称変更 11月27日、「開かれたウリ党」として登録。 非交渉団体 18 16 自民連、民国党、国民統合21を含む 出典:국회사무처(大韓民國國會事務處)『대한민국국회 60년사(大韓民國國會60年史)』の제19장 제16대 국회(第19章 第16代国会)〈교섭단체 변천 및 의원 변동현황〉(交渉団体変遷及び議員変動現況)807〜808頁を元に作成。注:本表では、盧武鉉政権発足直後とウリ党発足直後の交渉団体議席数の変動について取り上げている。
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