2000年 全米オープン優勝 世界ランク1位とは? わかりやすく解説

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2000年 全米オープン優勝 世界ランク1位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:22 UTC 版)

杉山愛」の記事における「2000年 全米オープン優勝 世界ランク1位」の解説

杉山この年からコーチ丸山からマリー・ピエルスアマンダ・クッツァーらのコーチ歴任してきた南アフリカ共和国のマイケル・ディオン に変えツアー臨んだダブルスではこの年から新たにジュリー・アラール=デキュジス組み、第2シード出場した全米オープン決勝で第10シードカーラ・ブラック&エレーナ・リホフツェワ組を6–0, 1–6, 6–1のフルセット下し1975年ウィンブルドンアン清村組んで優勝した沢松和子以来25年ぶりのグランドスラム女子ダブルス優勝を果たす。この年は他にもアラール=デキュジスとのペア4月マイアミ・マスターズ10月クレムリン・カップ二つティアI大会を含むツアー6勝を、またナタリー・トージアとのペアでも1勝を挙げ年間7勝を記録。この活躍により10月には日本人選手として初めWTAダブルスランキング1位になり、年度末ランクでも1位でシーズン終えた一方シングルスではノーシード出場した全豪オープン4回戦で、当時世界ランク5位の第4シードマリー・ピエルスを7-5, 6-4ストレート下し自身初のグランドスラムシングルスベスト8進出を果たす。また全仏オープンでも5年ぶりに4回戦進出した。しかしこれ以外では2月ステート・ファーム・クラシックベスト8進出した他は全てツアー1〜2回戦負け終わり2度目出場となったシドニーオリンピックでも、14シード出場したシングルス1回戦エレナ・ドキッチ0-6, 6-7(1)で、宮城ナナとのペアで第4シードとして出場したダブルス2回戦タイのベンジャマス・サングラム&タマリン・タナスガーン6-2, 5-7, 2-6フルセット敗退するなど、シングルススランプ陥る杉山は後のインタビューこの頃振り返りあの時の私はダブルスばかり戦績出て日曜日まで勝ち残るのに、シングルスでは負け続きトーナメント過ごし方が分からなくなっていた。自分テニスを見失いそれこそ私の打ち方うなっているの?というレベルまで落ちてしまった。周り選手達が256歳辞めていった時期でもあり、尚更私はどうなっていくのか」と悩んだという。コーチとの関係も上手く行かなくなりキャリア初めて壁にぶつかった感じた杉山は、米国遠征中に母芙沙子電話をかけ「もうテニス辞めたい」と涙ながらに弱音を吐く程追い詰められていた。しかし、この電話切っ掛け話し合いの末、シーズン終了後からデヨングに代わり沙子コーチ務めることが決定し親子二人三脚ツアー転戦が始まることとなる。

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「2000年 全米オープン優勝 世界ランク1位」を含む「杉山愛」の記事については、「杉山愛」の概要を参照ください。

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