2000年 全米オープン優勝 世界ランク1位
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「杉山愛」の記事における「2000年 全米オープン優勝 世界ランク1位」の解説
杉山はこの年からコーチを丸山からマリー・ピエルス、アマンダ・クッツァーらのコーチを歴任してきた南アフリカ共和国のマイケル・ディオン に変えツアーに臨んだ。ダブルスではこの年から新たにジュリー・アラール=デキュジスと組み、第2シードで出場した全米オープン決勝で第10シードのカーラ・ブラック&エレーナ・リホフツェワ組を6–0, 1–6, 6–1のフルセットで下し、1975年ウィンブルドンでアン清村と組んで優勝した沢松和子以来、25年ぶりのグランドスラム女子ダブルス優勝を果たす。この年は他にもアラール=デキュジスとのペアで4月のマイアミ・マスターズと10月のクレムリン・カップの二つのティアI大会を含むツアー6勝を、またナタリー・トージアとのペアでも1勝を挙げ、年間7勝を記録。この活躍により10月には日本人選手として初めてWTAダブルスランキング1位になり、年度末ランクでも1位でシーズンを終えた。一方シングルスではノーシードで出場した全豪オープン4回戦で、当時世界ランク5位の第4シードマリー・ピエルスを7-5, 6-4のストレートで下し、自身初のグランドスラムシングルスベスト8進出を果たす。また全仏オープンでも5年ぶりに4回戦に進出した。しかしこれ以外では2月のステート・ファーム・クラシックでベスト8に進出した他は全てツアー1〜2回戦負けに終わり、2度目の出場となったシドニーオリンピックでも、第14シードで出場したシングルスは1回戦でエレナ・ドキッチに0-6, 6-7(1)で、宮城ナナとのペアで第4シードとして出場したダブルスも2回戦でタイのベンジャマス・サングラム&タマリン・タナスガーンに6-2, 5-7, 2-6のフルセットで敗退するなど、シングルスでスランプに陥る。杉山は後のインタビューでこの頃を振り返り「あの時の私はダブルスばかり戦績が出て、日曜日まで勝ち残るのに、シングルスでは負けが続き、トーナメントの過ごし方が分からなくなっていた。自分のテニスを見失い、それこそ私の打ち方どうなっているの?というレベルまで落ちてしまった。周りの選手達が25〜6歳で辞めていった時期でもあり、尚更私はどうなっていくのか」と悩んだという。コーチとの関係も上手く行かなくなり、キャリアで初めて壁にぶつかったと感じた杉山は、米国遠征中に母芙沙子に電話をかけ「もうテニスを辞めたい」と涙ながらに弱音を吐く程追い詰められていた。しかし、この電話を切っ掛けに話し合いの末、シーズン終了後からデヨングに代わり芙沙子がコーチを務めることが決定し、親子二人三脚のツアー転戦が始まることとなる。
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