2階級制覇達成
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「イヴァン・カルデロン」の記事における「2階級制覇達成」の解説
2007年8月25日、バヤモンのコリセオ・ルーベン・ロドリゲスでWBO世界ライトフライ級王者ウーゴ・カサレスに挑戦。8回にダウンを奪われるも何とか巻き返し12回2-1(111-116、2者が115-112)の判定勝ちで2階級制覇を成し遂げた。WBO王座獲得と同時にリングマガジンから同誌ライトフライ級王座に認定された。 2007年12月1日、ニューメキシコ州でファン・エスクゥイアと対戦し12回3-0(115-113、116-112、118-110)の判定勝ちで初防衛に成功した。 2008年4月5日、サンフアンで元WBO世界ライトフライ級王者ネルソン・ディーバと対戦し12回3-0(3者とも120-108)の判定勝ちで2度目の防衛に成功した。 2008年8月30日、バヤモンでウーゴ・カサレスと再戦し、7回に偶然のバッティングで額を裂傷しドクターストップ。7回1分58秒3-0(67-66、2者が68-65)の判定勝ちで3度目の王座防衛に成功した。 2009年6月13日、マディソン・スクエア・ガーデンで行われた12位ロデル・マヨールとの対戦では4回に偶然のバッティングで額をカットし、これが悪化して6回1分50秒1-1(58-56、56-58、57-57)の判定により6回負傷引分で4度目の王座防衛に成功した。 2009年9月12日、ロデル・マヨールとダイレクトリマッチを行い、7回にまたしてもバッティングで負傷し7回終了時2-1(2者が68-65、65-68)の負傷判定勝ちで5度目の防衛に成功した。 2010年6月12日、マディソン・スクエア・ガーデンでヘスス・イリベと対戦し2回にダウンを奪われるもその後は落ち着いて試合を支配し12回3-0(116-111、2者が118-109)の判定勝ちで6度目の防衛に成功した。 2010年8月28日、グアイナボのコリセオ・マリオ“キホーテ”モラレスでWBA世界ライトフライ級王者ジョバンニ・セグラと王座統一戦を行ったが、プロ初黒星となる8回1分34秒KO負けを喫しWBA王座の獲得に失敗、WBO王座の7度目の防衛にも失敗し、カルデロンは3年間保持してきたWBO王座をセグラに明け渡す結果となり、WBA王座とWBO王座の統一に失敗した。 2011年4月2日、メキシコバハ・カリフォルニア州メヒカリのアウディトリオ・デル・エスタードに出向いてジョバンニ・セグラとダイレクトリマッチを行い、3回1分39秒KO負けを喫しWBO世界ライトフライ級王座への返り咲きに失敗した。 2011年10月29日、WBOラテンアメリカミニマム級王座決定戦でフェリペ・リバスと対戦し、2-1(97-93、96-94、94-96)の判定勝ちで王座を獲得した。 2012年10月6日、バイモンのコリセオ・ルーベン・ロドリゲスでウィルフレド・バスケス・ジュニアVSジョナサン・オケンドの前座でWBO世界ミニマム級王者モイセス・フェンテスと指名挑戦者として対戦し、5年振りのミニマム級王座返り咲きを目指した。序盤からカルデロンのスピードにフェンテスが追いつけずペースを握るも、フェンテスがボディ攻撃に活路を見出すと4回にフェンテスの執拗なボディ攻撃でスピードを失った。5回開始早々フェンテスの左右フックをボディに決められダウンを奪われ完全にひっくり返された。その後ロープを背負いフェンテスのボディ攻撃を受け2度目のダウンを奪われる。最後は右ストレートがレバーに当たるとカルデロンがひざから崩れるようにダウンし悶絶。レフェリーが3ダウンでストップを宣告。5回1分22秒TKO負けで返り咲きに失敗し現役を引退した。
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