フェザー級転向と日本人初、飛び級での2階級制覇達成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 04:43 UTC 版)
「長谷川穂積」の記事における「フェザー級転向と日本人初、飛び級での2階級制覇達成」の解説
モンティエル戦後、都内の病院で検査を受けた結果、右アゴの骨折が判明。5月6日に神戸市内の病院で改めて検査を受けた結果、「右角部下顎(かがく)骨骨折」と診断され、10日に入院。翌11日に手術を受け、14日に退院。20日に所属ジムで現役続行を表明。モンティエルとの再戦を希望し、一時はバンタム級に留まることを宣言したが、その後のモンティエル側との交渉が難航。再戦は困難と判断し、フェザー級への転向を決意。2010年9月発表のWBC世界ランキングでフェザー級2位にランクされた。 バンタム級王座陥落から7か月後の2010年11月26日、名古屋・名古屋市総合体育館(日本ガイシホール)でのWBC世界フェザー級王座決定戦に出場。1位ファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)と王座を争った。 長谷川は初回から積極的に前へ出てパンチを打ち、中盤から終盤ではブルゴスのパンチにぐらついた場面もあったが、最終的には12ラウンドをフルに戦い抜き、結果3-0の判定勝ち。王座奪取に成功し、日本人選手としては初となる飛び級での2階級制覇を果たした。また、この日は同じリングでWBC世界スーパーフェザー級王座に挑戦した粟生隆寛も王座奪取に成功。兄弟分2人揃っての2階級制覇を果たした。
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