2度目の結婚、「不倫は文化」発言騒動
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「石田純一」の記事における「2度目の結婚、「不倫は文化」発言騒動」の解説
1988年に女優の松原千明と再婚。1990年7月に長女・すみれが誕生。 しかし1991年10月、それまで石田が公表していなかった、星川との間に儲けた長男・壱成の存在が明らかになり、「隠し子」として『週刊女性』にスクープされる。また、石田もその事実を認めた声明を出したため大きく報じられた。壱成は翌1992年に、「石田純一の息子・いしだ壱成」として芸能界デビューし、以降親子での共演なども見られることとなった。 また、石田はファッションモデル・長谷川理恵との8年余りに及ぶ交際でも知られた。1996年10月、『フォーカス』のスクープを発端に長谷川との不倫についてマスコミから追及された石田は「文化や芸術といったものが不倫という恋愛から生まれることもある。作品が素晴らしければ褒め讃えられて、その人の行為は唾棄すべきものとは僕は思えない」と反論。平尾昌晃チャリティゴルフで芸能レポーターの取材に答える石田の姿は、「不倫は文化」というフレーズと共に繰り返し報じられた。結婚中の不倫と前述の発言による「不倫バッシング」によって、40代は一転して不遇の人生に転落することとなる。 不倫騒動にもかかわらず、1997年4月に『スーパーJチャンネル』のメインキャスターに就任し、月曜日から木曜日までレギュラー出演していた。しかし、8月にまたも『フォーカス』に長谷川との密会現場を撮られたことから、翌1998年4月に降板。降板日には生放送で落涙している。 完全に干されてしまった石田は1999年に2度目の離婚。全盛期に3億円あった年収はゼロになり、8000万円の借金ができるなど経済的にも困窮し、それまで住んでいた高級マンションは引き払おうにも引越し代がないという始末であった。この頃の状況について石田は後に、「時間を持て余すことが何よりも辛かった」と語っている。 「不倫は文化騒動」以降は、バラエティ番組や情報番組への出演に主軸をおいた活動が続いているが、完全に俳優業をやめた訳ではなく、2000年代以降も本業の俳優としての活動は継続している。
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