2度目の航海と最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/23 12:06 UTC 版)
「トマス・テュー」の記事における「2度目の航海と最期」の解説
11月、テューはフレッチャーから新たな私掠免許を与えられ、30人から40人の部下を連れて再び航海に出る。 1965年8月、テューの一味は紅海のマンデブ海峡に到着し、そこで稼業の成功を望む海賊たちに出会った。ファンシー号の船長であるヘンリー・エイヴリーほか、ロードアイランドのジョセフ・ファロ(英語版)、トマス・ウェイク(英語版)、ウィリアム・メイ(英語版)、そしてリチャード・ウォントである。テューと彼らは一緒に航海することとなった。 9月、ムガール帝国の船団がマンデブ海峡を通過したさい、テューと一味はこの船団を追跡した。テューはその内の一隻ファテー・ムハンマド号と戦闘となるが、この戦いの最中、敵弾がテューに当たって戦死してしまった。チャールズ・ジョンソンの「海賊史」によれば、テューは腹から出た腸をしばらく手で押さえていたという。士気を喪失したテューの部下たちは降伏したが、エイヴリーがファテー・ムハンマドを拿捕したために解放された。
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