2度目の覚書交換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 05:14 UTC 版)
「スターリン・ノート」の記事における「2度目の覚書交換」の解説
1952年4月9日に送られた第2次スターリン・ノートでソ連は平和条約の基礎となるドイツ統一政府の樹立に向けた交渉を開始すべきだとの立場を堅持していた。スターリンは自由選挙がドイツ統一の基礎となりうることは認めたが、選挙監視は国連ではなく戦勝国が行うべきだと主張した。一方、ポツダム会議で定められたオーデル・ナイセ線でドイツは統一されるべきであり、同盟の問題については再軍備したドイツが他国に対する攻撃的な同盟に参加すべきではない事を表明した。1952年5月13日の西側の第2次回答では自由に選挙された全ドイツ政府が条約交渉に参加しなければならないことが改めて強調されていた。さらに西側は戦勝国の委員会が選挙を監督する事も可能である事を認めたが、委員会は政府代表ではなく中立な参加者で構成するよう主張した。西側が主張する自由選挙が先か、ソ連が主張する平和条約交渉が先かの争点が残った。
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