1999年から2011年
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「デンバー・ブロンコス」の記事における「1999年から2011年」の解説
エルウェイの引退後の1999年から2002年まではマイアミ・ドルフィンズの元QB、ボブ・グリーシーの息子であるブライアン・グリーシーが先発QBとなり34勝30敗の成績をあげた。 2003年にチームはアリゾナ・カージナルスの先発QBだったジェイク・プラマーがグリーシーの代わりに先発QBとなった。チームはシーズン序盤は好成績をあげるが終盤失速するといった傾向があり2003年、2004年は5勝1敗と好スタートをきりながらいずれも10勝6敗で終えた。この年プラマーは自己ベストの4,089ヤード、27TDをあげた。2005年には13勝3敗でプレーオフ第2シードを獲得しスーパーボウル3連覇を目指すニューイングランド・ペイトリオッツを27-13と破りペイトリオッツのプレーオフ連勝記録を10で止めたがホームで行なわれたピッツバーグ・スティーラーズとのAFCチャンピオンシップゲームでプラマーが2インターセプトを喫するなど17-34で敗れて、スーパーボウル出場は果たせなかった。 スーパーボウルまであと一歩のところまでいったものの、2006年のドラフト1巡目でチームがQBのジェイ・カトラーを指名したことは周囲を驚かせた。2006年には守備陣が相手のオフェンスに開幕から5試合でわずか1TDしか許さず、7勝2敗と好成績をあげた。その後連敗するとシャナハンは先発QBをジェイク・プラマーからジェイ・カトラーに変えその後2勝3敗、シーズンを9勝7敗で終えた。2007年1月1日にはCBのダレント・ウィリアムスが射殺されて亡くなった。 2007年シーズンはロッド・スミスやトム・ネイレン、ベン・ハミルトンなど故障者が続出し7勝9敗に終わった。 2008年シーズンはシーズン最終節のサンディエゴ・チャージャーズとの地区優勝をかけた試合に敗れこれがシャナハンヘッドコーチの最後の試合となった。 2009年1月11日、ニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンスコーディネーター、ジョシュ・マクダニエルズが新ヘッドコーチに就任した。2009年シーズン開幕前一時トレード要員となったジェイ・カトラーとチームの関係が悪化、トレードでシカゴ・ベアーズに放出しQBカイル・オートンやドラフト指名権とトレードした。この年チームは開幕から6連勝したが最後は8勝8敗で終わりプレーオフを逃した。 2010年には前年からチームに不満を持ったプロボウラーのブランドン・マーシャルをマイアミ・ドルフィンズにトレード、ドラフトでは大方の予想を裏切りQBティム・ティーボウを1巡目で指名した。そしてクリーブランド・ブラウンズとのトレードでブレイディ・クインを獲得した。3勝9敗となったところでマクダニエルズヘッドコーチは解任されてエリック・スタデスビルRBコーチが暫定ヘッドコーチとなった。その後2011年1月、前年までカロライナ・パンサーズでヘッドコーチを務めたジョン・フォックスがヘッドコーチに就任することとなった。 2011年、開幕から1勝4敗となったところでチームはカイル・オートンからティム・ティーボウに先発QBを交代、シーズン途中にオートンは放出された。ティーボウが先発してからチームは続く8試合で7勝1敗の成績をあげ、最後の3試合は連敗したものの、8勝8敗で地区優勝を果たした。ワイルドカードプレーオフでピッツバーグ・スティーラーズをオーバータイムの末、29-23で破ったが、ディビジョナルプレーオフでニューイングランド・ペイトリオッツに10-45で敗れた。
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