1991年の橋とは? わかりやすく解説

1991年の橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/08 05:18 UTC 版)

押切橋」の記事における「1991年の橋」の解説

1973年昭和48年3月江南村長を会長として近隣十三市町村による「押切架橋促進期成同盟会」が結成され、国および県に永久橋架橋働きかけた。国庫補助橋梁整備事業として国道140号バイパスから県道富田熊谷線(現、埼玉県道81号熊谷寄居線)までの2130メートル事業区間として総事業費49億円を投じて1980年昭和55年着工され今まで600メートル上流側PC連続箱桁永久橋として架設されることとなった1991年平成3年2月竣工し同年3月15日開通した。これが現在の押切橋である。また、開通合わせて取り付け道路となる3本道路押切地区新たに建設した施工担当は新構造技術住友建設古郡建設大成建設飛島建設等である。 開通日前の3月10日押切橋開通行事実行委員会主催による開通記念イベント開催されフォークダンス橋上ウォーキングマラソン大会などが行われた。3月15日10時30分の北詰寄り橋上にて開通式が挙行され、国・県会議員や畑県知事のほか江南町長や熊谷市長およびその住民など約300名が出席した開通式は開通記念式典として畑県知事らによる祝辞テープカット執り行われ、二組の三世家族先頭警察カラーガード隊による渡り初めが行われた。そして式典終了後供用開始した当時熊谷市大里郡江南町を結ぶであったが、2007年平成19年2月13日市町村合併平成の大合併)で両岸とも熊谷市となった

※この「1991年の橋」の解説は、「押切橋」の解説の一部です。
「1991年の橋」を含む「押切橋」の記事については、「押切橋」の概要を参照ください。

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