1991年の橋
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1973年(昭和48年)3月、江南村長を会長として近隣十三市町村による「押切架橋促進期成同盟会」が結成され、国および県に永久橋の架橋を働きかけた。橋は国庫補助の橋梁整備事業として国道140号バイパスから県道富田・熊谷線(現、埼玉県道81号熊谷寄居線)までの2130メートルを事業区間として総事業費約49億円を投じて1980年(昭和55年)着工され、今までの橋の600メートル上流側にPC連続箱桁橋の永久橋として架設されることとなった。橋は1991年(平成3年)2月竣工し、同年3月15日に開通した。これが現在の押切橋である。また、橋の開通に合わせて取り付け道路となる3本の道路を押切地区に新たに建設した。橋の施工担当は新構造技術、住友建設、古郡建設、大成建設、飛島建設等である。 開通日前の3月10日に押切橋開通行事実行委員会主催による開通記念イベントが開催され、フォークダンスや橋上ウォーキング、マラソン大会などが行われた。3月15日の10時30分に橋の北詰寄りの橋上にて橋の開通式が挙行され、国・県会議員や畑県知事のほか江南町長や熊谷市長およびその住民など約300名が出席した。開通式は開通記念式典として畑県知事らによる祝辞やテープカットが執り行われ、二組の三世代家族を先頭に警察カラーガード隊による渡り初めが行われた。そして式典終了後に橋の供用を開始した。当時は熊谷市と大里郡江南町を結ぶ橋であったが、2007年(平成19年)2月13日の市町村合併(平成の大合併)で両岸とも熊谷市となった。
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