1991年の事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/25 04:56 UTC 版)
「14丁目-ユニオン・スクエア駅」の記事における「1991年の事故」の解説
詳細は「1991年ユニオン・スクエア駅脱線事故」を参照 1991年8月28日、駅の北側で5人が死亡、215人が重軽傷を負う脱線事故が起きた。これは1928年にIRTブロードウェイ-7番街線タイムズ・スクエア-42丁目駅で16人が死亡した事故以来のものであった。運転士のロバート・レイは酒に酔っており、ブロンクス区のウッドローン駅からホーム逸走を繰り返していた。駅の北側でユーティカ・アベニュー駅行 4系統は保線作業中の急行線から緩行線に転線したが、制限速度 時速10マイル(時速16キロメートル)の区間に時速40マイル(時速65キロメートル)で進入したため2両目以降がポイントで脱線し積み重なるように激突した。編成のうち1435、1436、1437、1439、1440の各車はその場でほぼスクラップ状態になり、IRTレキシントン・アベニュー線の構造物も深刻な損傷を受けた。6日間に渡って運休(その間は59丁目駅止で運転された)となり、MTAの作業員は復旧作業に追われた。信号設備や分岐器、線路、路盤、配線類や支柱23本など主要な設備はほとんど交換された。レイは過失致死罪で有罪となり懲役15年を宣告されたが、模範囚だったため2002年4月に釈放された。 この事故は古い行き止まり線で起きた。IRTブロードウェイ-7番街線72丁目駅と同様、14丁目-ユニオン・スクエア駅も駅手前で別線から入線できるようになっていた。これは緩行線と急行線の間におよそ91メートル (300 ft)に渡って設けられていた。これはホームにまだ先行列車が残っている状態で待ち合わせをする待避線として考えられていたが、このとき既に編成長が待避線の長さを上回っており、待避線の用をなさなくなっていた。このため、復旧の際にこの待避線は撤去された。
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