1991年の首位打者争い
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「平井光親」の記事における「1991年の首位打者争い」の解説
1991年、平井はオリックスの松永浩美と壮絶な首位打者争いを繰り広げる。松永は10月6日に全日程を終了して484打数152安打で打率.3140であり、その時点で平井は342打数108安打で打率.3158で松永を上回っていたが、この時点での打席数は383打席であり、シーズンの規定打席である403打席(当時)に20打席不足していた(松永も自身の最終戦は守備についただけで打席には立っていない)。ロッテは残り7試合を残していたが、平井は最初の4試合で17打席に立ち9打数3安打4四球4犠打で乗り切り、打率.3162となった。残りの3打席で2打数無安打なら打率.3144で平井が首位打者、3打数無安打なら打率.3136に後退し、松永が首位打者という状況であった。シーズン128試合目の1回裏に先頭の西村徳文が塁に出ると平井は代打で登場して送りバントを決め、事実上首位打者を確定させた。残りの2打席は凡退して規定打席にちょうど到達し交代、松永とわずか4毛差(.3144)で首位打者を獲得した。また、シーズン111安打(パ・リーグ20位)は2リーグ制導入以降の首位打者の安打数としては史上最少であった。
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