1987 カンピオナート・ブラジレイロ・イエローモジュール
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1987 カンピオナート・ブラジレイロ・イエローモジュールは、ブラジルサッカー連盟 (CBF) 主催による「カンピオナート・ブラジレイロ(ブラジル全国サッカー選手権 以下ブラジルリーグ)」の1987年度シーズンの1部リーグ相当のリーグ戦である。
目次
概要
CBFはブラジルリーグのチーム数拡大路線を進め、この年の1部リーグは28チーム参加で予定されていたが、主力13クラブがこの拡大路線に反対し、意見が対立したため、1987年度のリーグ戦は主力13クラブが中心となったコパ・ウニオンと、それ以外のクラブによるCBF主催の当リーグ戦の2本立てという異例の事態となった。このイエローモジュールは通常のブラジルリーグにおいての1部リーグ相当のカテゴリーであり、16クラブ(うち1チームは出場辞退となり、結果15チーム)が参加して行われた。
この翌年、1988年からCBFと主力13クラブがチーム数を削減させることで合意し、1部リーグは元の1リーグに戻された。
試合方式
リーグ戦は16チームを2組(A組8チーム、B組8チーム[1])に分けて、まず第1ステージは別の組との交流戦1回総当たり(A組8試合、B組8試合[2])を行いそれぞれの組の第1位のチームが準決勝に進出。続いて同じ組のチーム同士による第2ステージ1回総当たり(A組7試合、B組6試合[3])を実施し、やはりそれぞれの組の1位チーム(第1ステージ1位チームが第2ステージも1位である場合は2位チーム)が準決勝に進出する。
準決勝と決勝はホーム・アンド・アウェーの2試合合計得点によるトーナメント方式で優勝を争った。
第1ステージ
グループA
順位 | クラブ | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 勝点 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
8 | 4 | 3 | 1 | 9 | 5 | 11 | 準決勝進出 |
2 | ![]() |
8 | 5 | 1 | 2 | 10 | 6 | 11 | |
3 | ![]() |
8 | 5 | 0 | 3 | 10 | 9 | 10 | |
4 | ![]() |
8 | 4 | 2 | 2 | 11 | 6 | 10 | |
5 | ![]() |
8 | 4 | 4 | 2 | 8 | 6 | 10 | |
6 | ![]() |
8 | 4 | 1 | 3 | 6 | 7 | 9 | |
7 | ![]() |
8 | 3 | 2 | 3 | 5 | 5 | 8 | |
8 | ![]() |
8 | 2 | 2 | 4 | 7 | 10 | 6 |
グループB
順位 | クラブ | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 勝点 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
8 | 5 | 3 | 0 | 13 | 2 | 13 | 準決勝進出 |
2 | ![]() |
8 | 3 | 3 | 2 | 8 | 6 | 9 | |
3 | ![]() |
8 | 3 | 2 | 3 | 5 | 5 | 8 | |
4 | ![]() |
8 | 3 | 0 | 5 | 8 | 13 | 6 | |
5 | ![]() |
8 | 2 | 2 | 4 | 8 | 10 | 6 | |
6 | ![]() |
8 | 2 | 2 | 4 | 5 | 7 | 6 | |
7 | ![]() |
8 | 2 | 1 | 5 | 7 | 15 | 5 | |
8 | ![]() |
8 | 0 | 0 | 8 | 0 | 8 | 0 | 出場辞退 |
第2ステージ
グループA
順位 | クラブ | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 勝点 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
7 | 4 | 2 | 1 | 9 | 3 | 10 | 準決勝進出 |
2 | ![]() |
7 | 3 | 3 | 1 | 8 | 3 | 9 | |
3 | ![]() |
7 | 2 | 4 | 1 | 8 | 5 | 8 | |
4 | ![]() |
7 | 3 | 1 | 3 | 3 | 4 | 7 | |
5 | ![]() |
7 | 1 | 5 | 1 | 2 | 2 | 7 | |
6 | ![]() |
7 | 2 | 2 | 3 | 4 | 7 | 6 | |
7 | ![]() |
7 | 1 | 3 | 3 | 2 | 6 | 5 | |
8 | ![]() |
7 | 1 | 2 | 4 | 1 | 7 | 4 |
グループB
順位 | クラブ | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 勝点 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ![]() |
6 | 4 | 1 | 1 | 6 | 4 | 9 | 両ステージ1位 |
2 | ![]() |
6 | 3 | 2 | 1 | 8 | 3 | 8 | 準決勝進出[4] |
3 | ![]() |
6 | 2 | 4 | 0 | 7 | 4 | 8 | |
4 | ![]() |
6 | 2 | 2 | 2 | 7 | 6 | 6 | |
5 | ![]() |
6 | 1 | 2 | 3 | 5 | 9 | 4 | |
6 | ![]() |
6 | 2 | 0 | 4 | 4 | 7 | 4 | |
7 | ![]() |
6 | 0 | 3 | 3 | 2 | 6 | 3 |
決勝トーナメント
準決勝
チーム1 | 合計 | チーム2 | 第1戦 | 第2戦 |
---|---|---|---|---|
アトレチコ-PR ![]() |
0-1 | ![]() |
0-0 | 0-1 (aet) |
バングー ![]() |
4-5 | ![]() |
3-2 | 1-3 |
決勝
チーム1 | 合計 | チーム2 | 第1戦 | 第2戦 |
---|---|---|---|---|
グアラニ ![]() |
2-3 | ![]() |
2-0 | 0-3 |
総合順位
上位4チームは決勝トーナメントの成績に基づいて、5位以下は第1・2ステージの総当たり(1チーム14試合)の成績を基として順位を作成した。
- スポルチ
- グアラニ
- バングー
- アトレチコ-PR
- クリシューマ
- ヴィトーリア
- ポルトゥゲーザ
- インテル-SP
- トレーゼ
- リオ・ブランコ-ES
- アトレチコ-GO
- セアラー
- ナウチコ
- ジョインヴィレ
- CSA
- アメリカ-RJ (出場辞退)
南米クラブ選手権出場決定戦
1987年度は主力13クラブとCBFがそれぞれ1部リーグを主催し、2リーグ分裂状態となり、主力13クラブ主催優勝のCRフラメンゴと、CBF主催優勝のスポルチは、統一王座決定戦を開催しなかったので、ともにブラジルリーグ(第17回)の通算優勝回数にカウントされているが、コパ・リベルタドーレス1988(南米クラブ選手権大会)の出場クラブを選定するためのプレーオフが1988年1月に開催されることになっていた。
しかし、主力13クラブ主催側で上位2位までに入ったフラメンゴとインテルナシオナルが出場辞退したため、結果的に当リーグ戦の決勝の再戦となった「スポルチ対グアラニ」の試合のみが行われる結果となった。ただ、当時のコパ・リベルタドーレスには1か国につき2クラブが進出することになっていたので、必然的にこの2チームが同大会の出場権を獲得したため、実質はブラジル代表の選考順位決定戦であった。
準決勝
チーム1 | 合計 | チーム2 | 第1戦 | 第2戦 |
---|---|---|---|---|
グアラニ ![]() |
2-0[1] | ![]() |
1-0[1] | 1-0[1] |
スポルチ ![]() |
2-0[2] | ![]() |
1-0[2] | 1-0[2] |
[1]フラメンゴの出場辞退による不戦勝扱いでグアラニが決勝進出
[2]インテルナシオナルの出場辞退による不戦勝扱いでスポルチが決勝進出
決勝
チーム1 | 合計 | チーム2 | 第1戦 | 第2戦 |
---|---|---|---|---|
グアラニ ![]() |
1-2 | ![]() |
1-1 | 0-1 |
- この結果によりスポルチとグアラニがブラジル代表としてコパ・リベルタドーレス1988への出場権を獲得した。
脚注
参考文献
|
「1987 カンピオナート・ブラジレイロ・イエローモジュール」の例文・使い方・用例・文例
- 1987年のブラックマンデーショックは、ウォール街のみならず、世界中を震撼させた。
- 1987年のブラックマンデー以降、株式先物取引規制が強化された。
- わが社は1987年に設立されました。
- フランスの脚本家で、ギリシャ神話に対する再解釈で知られる(1920年−1987年)
- 米国のダンサー、映画俳優で、独創的で上品なタップダンスで知られる(1899年−1987年)
- 米国の作家で、人種差別に関する率直な批判者(1924年−1987年)
- フランスの原子物理学者で、物質の粒子が波状特性を見せることを示すことにより、波動・粒子の二重性を法則化した(1892年−1987年)
- 米国の作者で、貧困と衰退についての小説で知られる(1903年−1987年)
- イタリアの小説と短編小説の作家(キューバ生まれ)(1923年−1987年)
- 米国の神話学者(1904年−1987年)
- ヘンリー・フォードの孫(1917年−1987年)
- 米国のジャズミュージシャンでバンドリーダー(1913年−1987年)
- 1941年に明らかに英国と平和条約を交渉しようとスコットランドに単独で飛行したが、終身収監されたナチのリーダー(1894年−1987年)
- 米国の映画制作者で、米国で生まれ、1964年以降アイルランド市民となった(1906年−1987年)
- 米国の作曲家(オーストリア生まれ)で、いくつかのミュージカルでラーナーと協力した(1901年−1987年)
- 米国の脚本家で公務員(1902年−1987年)
- 英国の免疫学者(ブラジル生まれ)で、組織移植を研究し、移植片の不認可が免疫反応であることを発見した(1915年−1987年)
- スウェーデンの経済学者(1898年−1987年)
- 米国の生化学者(1891年−1987年)
- 米国の心理学者で、患者中心療法を開発した(1902年−1987年)
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