1960-1980年代
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「日本とリトアニアの関係」の記事における「1960-1980年代」の解説
アンダーグラウンド・シネマが世界的に流行していた頃、実験映画の騎手として知られた在米リトアニア人監督ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶』(1972年)が日本でも紹介され、リトアニアへの関心が高まった。 1989年には人間の鎖でソ連支配に抗議する「バルトの道」デモのニュースが世界中に報道され、日本でも話題となった。
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1960-1980年代
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「横浜みなとみらい21」の記事における「1960-1980年代」の解説
1965年 - 横浜市の六大事業の一つとして、当地区の再開発構想が出る。 1979年 - 「横浜市都心臨海部総合整備計画」基本構想発表。 1981年 - 一般公募により事業名が「みなとみらい21」に決定(詳細は後節)。 1983年三菱重工業横浜造船所の移転完了。 帆船日本丸の横浜市への移管が決定。 11月8日に「みなとみらい21」事業着工。 1984年埋立事業の礎石沈定式(起工式)。 株式会社横浜みなとみらい21設立。 1985年横浜そごうが入る「横浜新都市ビル」(68街区)開業。 「日本丸メモリアルパーク」(23街区)一部完成、帆船日本丸を一般公開。 1989年動く歩道完成。 横浜市制100周年、開港130周年を記念して「横浜博覧会 (YES'89)」開催。動員数1333万人。以後、当地区の開発が本格化。 「横浜ベイブリッジ」開通。 「横浜マリタイムミュージアム」(現:横浜みなと博物館)(23街区)開館。 「臨港パーク」(19街区)一部完成。 横浜市内初の大型美術館である「横浜美術館」(36街区)正式開館。 みなとみらい21熱供給のセンタープラント(31街区)により、当地区の地域冷暖房(地域熱供給)事業開始。 中央地区の広範囲における町名、住所表記が「みなとみらい」に決定。
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