1946年度3月改正
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「軍服 (中華民国)」の記事における「1946年度3月改正」の解説
第2次世界大戦後はアメリカやイギリスの軍事援助を受けたことから、米国の軍服やイギリスの軍服の影響を強く受けた軍装となった。 改正は空軍の軍服(後述)に引っ張られるような形である。階級章が肩へと移動し、代わって襟には兵科を表す徽章が配された。また階級章の意匠も大幅に変更され、従来の正三角形から梅へと変更された。 ただし、当初のころは肩章を付けたのみで襟章は従来のものを留めたものも多い。この時期は戦後の経済政策の失敗や国共内戦も相まって改正がままならず、中には独自の改造を施している者もいた。軍閥割拠以来、軍装が最も混乱していた時期といえよう。 二級上将。王陵基 砲兵大佐。周長耀(中国語版) 戦後新たに制定された陸軍の制帽。張霊甫、1947年。 戦後再改正後の二級上将。関麟徴(1948年) 戦後再改正後の二級上将。馬歩芳(1950年代) 李宗仁(1948年) 二・二八事件直後に台湾を訪問した国民政府国防相(1947年) 桂永清(中国語版) 蔣介石と軍首脳(1955年)。陸軍将兵は引き続き折襟の上衣を着用 金門島の防衛施設を視察した蔣介石(1956年)。文官が着用しているのは中山服。左上の軍人の軍服は米軍の作業服風。 米軍式の戦闘服を着用した陸軍中将。張霊甫 台湾を視察した駐韓米軍幹部と孫立人及び彭孟緝。米軍の軍服との差異がわかりやすい 若い兵士(1940年代末から1950年代初頭)
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