1946年憲法
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「ベトナム社会主義共和国憲法」の記事における「1946年憲法」の解説
1945年9月20日の主席令により、ホーチミンを議長とする憲法起草委員会を設立。翌1946年1月6日には総選挙が実施され、制憲議会(第1期国会)が発足した後、10月招集の第1期第2回国会において憲法は採択された。 1946年憲法の基本的な目的は、共産主義の統治に民主的な外観を与える事であった。当時のベトナムは、「フランス連合」の一員となるか「完全な独立を回復」するかの岐路にあり、フランスとの交渉において妥協を重ねていた。ベトナム民主共和国の新政府は、共産主義者の支持に神経をとがらせつつ、非共産主義ナショナリストにも魅力的で、フランス人交渉者を挑発しないような、民主主義的な装いを示そうとした。このため実際に実施される事は無かったが、憲法では言論の自由、表現の自由、結社の自由などが記載され、「ブルジョワ民主主義的」な性格をもつと評される。この文書は1959年の新憲法で置き換えられるまで、第一次インドシナ戦争や1959年の北ベトナムの分離などを通して、ホー・チ・ミン支配地域で影響を維持した。
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