フランス国歌になるまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 02:27 UTC 版)
「ラ・マルセイエーズ」の記事における「フランス国歌になるまで」の解説
1804年、ナポレオン・ボナパルトが皇帝になると「暴君(専制君主)を倒せ」という部分の暴君(ティラン)は世襲君主全般を指すことから、国歌を『門出の歌』に変更し、『ラ・マルセイエーズ』は第一帝政から王政復古にかけては、特別な許しがある場合を除いては公の場で歌うことは禁止されていた。1830年の七月革命以降は晴れて解禁となり、同年にベルリオーズが独唱者と二重合唱、オーケストラのための編曲を施した。ナポレオン三世による第二帝政時には再び禁止され、第三共和政下でも強すぎる革命のイメージから政府に忌避されたが、これ以上に国民に人気と知名度がある歌がなく、1879年に再び国歌と定められた。第四共和政の「1946年憲法」及び第五共和政の「1958年憲法」のいずれにも『ラ・マルセイエーズ』を国歌として定める旨が明記されている。 現在のフランス第五共和政憲法には以下のように規定されている。 第1章主権第2条(共和国の言語、国旗・国歌、標語、原理)国語はフランス語である。 国旗は青白赤より構成される三色旗である。 国歌は「ラ・マルセイエーズ」である。 標語は「自由、平等、友愛」である。 原理は「人民の人民による人民のための政治」である。 なお、1974年に当時のバレリー・ジスカールデスタン大統領の下でテンポがやや遅めに変更されたが、後任のフランソワ・ミッテラン大統領の就任後に元のテンポに戻された。
※この「フランス国歌になるまで」の解説は、「ラ・マルセイエーズ」の解説の一部です。
「フランス国歌になるまで」を含む「ラ・マルセイエーズ」の記事については、「ラ・マルセイエーズ」の概要を参照ください。
- フランス国歌になるまでのページへのリンク