1942 - 1943
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 09:07 UTC 版)
「シェナンゴ (護衛空母)」の記事における「1942 - 1943」の解説
改装作業が完了すると、1942年9月19日に ACV-28 (補助空母)として再就役する。シェナンゴはトーチ作戦に参加する陸軍機を搭載して10月23日に北アフリカに向けて出航し、11月10日にフランス領モロッコのポート・ラウティーに陸軍機を陸揚げした。11月13日に21隻の駆逐艦へ給油作業を行うためカサブランカ入りしたが、1942年11月30日にハリケーンに遭遇し、広範囲な被害を受けた。シェナンゴは直ちに修理され、12月中旬には太平洋方面に回航された。 シェナンゴは1943年1月18日にヌメアに到着し、ソロモン諸島の攻防を支援する補給船団に空中掩護を提供する護衛空母群に加わった。また、シェナンゴに配属されていた航空隊のうちの一つは、味方部隊の援護にあたっている海軍航空隊を増強するため、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場に派遣された。シェナンゴの航空機は、7月12日のコロンバンガラ島沖海戦で損傷し後方に下がる軽巡洋艦ホノルル (USS Honolulu, CL-48) とセントルイス (USS St. Louis, CL-49) に対して空中援護を提供した。直後の7月15日には CVE-28 (護衛空母)に艦種変更されたシェナンゴは、オーバーホールのためメア・アイランド海軍造船所に向かい、8月18日に到着した。オーバーホール後、シェナンゴは新しく編成される航空隊のための練習空母として10月19日まで活動した後サンディエゴを出港して、ガルヴァニック作戦に参加するためエスピリトゥサント島に向かい、11月5日に到着した。11月20日から12月8日までの間、シェナンゴの航空機はタラワの戦いの支援を行い、日本軍のいる海岸に対して爆撃や機銃掃射を繰り返して、沖合いに停泊する輸送船団を守った。そのさなかの11月29日2157、タラワ近海で搭載機が潜水艦を発見し、これを撃沈した。この潜水艦は伊21であった。作戦終了後、シェナンゴはサンディエゴに戻って別の訓練任務に加わった。
※この「1942 - 1943」の解説は、「シェナンゴ (護衛空母)」の解説の一部です。
「1942 - 1943」を含む「シェナンゴ (護衛空母)」の記事については、「シェナンゴ (護衛空母)」の概要を参照ください。
- 1942-1943のページへのリンク