1885年の橋
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秩父新道(現在の埼玉県道44号秩父児玉線に相当)は秩父地方から郡外へ通じる初めての道路として1883年(明治16年)に着工され、1886年(明治19年)4月に竣工している。秩父橋はその秩父新道の建設の一環として最後に工事が残された区間に架けられたものである。 秩父事件で財政的に緊迫する時世であったが、橋は1885年(明治18年)12月に竣工され、1886年(明治19年)1月16日に橋の開通式および渡り初め式が挙行された。さらに1886年4月18日には秩父新道の開通式が行われた。橋の施工は斎藤組が担当した。架橋に要した費用は3万円であった。橋の高さは7丈2尺(約21.8メートル)あり、橋長142.12メートル、幅員4.24メートル、最大支間長36.4メートルの圧縮材に木材、引張材に鉄を用いた上路式の5径間木鉄混合プラットトラス橋で、2代目の旧秩父橋の30メートル上流側にあった。この木鉄混合プラットトラス橋は荒川では初代の荒川橋や親鼻橋にも採用されている。径間割は主径間が3連ありその両側に側径間がそれぞれ1連ずつある。橋の部材の木材は大滝村産で橋脚は小鹿野町産の岩殿沢石を使用した石積橋脚で川上側には水切りが付けられていた。桁下高を稼ぐため橋脚の頂部に木製の柱で櫓を立てその上に構桁が組まれた。 現在は橋脚のみが遺構として川の中に残されている。また、左岸側橋詰に所在する「秩父橋ポケットパーク」に「明治18年12月築造」と記された初代の橋の親柱2本が保存されている。この親柱は1985年の橋の基礎工事際に河床から発見され、発掘されたものである。
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