1885年改正とは? わかりやすく解説

1885年改正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 23:38 UTC 版)

広島鎮台」の記事における「1885年改正」の解説

1885年5月18日制定公布明治18年太政官達第21号による鎮台条例改正で、6つ鎮台兵力均一にそろえられた。各鎮台主力歩兵2個旅団(4個連隊)で、これに騎兵砲兵が各1個連隊工兵輜重兵が各1個大隊加わる。歩兵連隊広島に第11と第212つ四国に第12丸亀)と第22松山)と二分したが、他兵科広島集中した。 しかし以上も計画であり、1885年段階編成完了していた歩兵連隊は、従来からの第11と第12連隊だけであった。あとの2つは、前年歩兵第1大隊編成ができたばかりで、3つの大隊そろったのは鎮台廃止になる1888年のことであった

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1885年改正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 19:18 UTC 版)

熊本鎮台」の記事における「1885年改正」の解説

1885年明治18年6月鎮台条例改正で、6つ鎮台兵力均一にそろえられた。各鎮台主力歩兵2個旅団(4個連隊)で、これに騎兵砲兵が各1個連隊工兵輜重兵が各1個大隊が加わる。また、第6軍管管轄地沖縄加わった師管は南が第11師管、北が第12師管と、番号がずれた。 しかし以上もまた計画であり、歩兵第23連隊歩兵第24連隊編成1884年明治17年)に第1大隊編成着手した段階であった。両連隊編成完了1888年明治21年)、つまり師団制移行の年になった

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1885年改正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 19:22 UTC 版)

名古屋鎮台」の記事における「1885年改正」の解説

1885年明治18年6月鎮台条例改正で、6つ鎮台兵力均一にそろえられた。各鎮台主力歩兵2個旅団(4個連隊)で、これに騎兵砲兵が各1個連隊工兵輜重兵が各1個大隊加わる。歩兵第7連隊金沢に、歩兵第18連隊愛知県豊橋においたほか、兵力過半名古屋集中した。 しかしこれも計画であり、1885年段階編成完了していたのは、第6、第7と第18の3個歩兵連隊とどまった歩兵第19連隊編成この年はじまり、1887年にようやく完了した

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1885年改正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 19:20 UTC 版)

大阪鎮台」の記事における「1885年改正」の解説

1885年明治18年太政官達33号5月18日制定公布)により、鎮台条例改正された。この改正は前から決まっていた軍拡方針受けたもので、6鎮台戦力均一にそろえられることになった。各鎮台師管2つずつとなった師管には歩兵旅団を1個置き、歩兵旅団は2個歩兵連隊からなったので、大坂鎮台は2個歩兵旅団、4個歩兵連隊擁することとされた。しかし、4番目となる歩兵第20連隊はこのとき編成着手したばかりで、その完了鎮台廃止前年1887年明治20年になった

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1885年改正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 19:23 UTC 版)

仙台鎮台」の記事における「1885年改正」の解説

1885年明治18年6月鎮台条例改正で、6つ鎮台兵力均一にそろえられた。各鎮台主力歩兵2個旅団(4個連隊)で、これに騎兵砲兵が各1個連隊工兵輜重兵が各1個大隊加わる。仙台鎮台第2軍管は、新潟県加えて東北地方と新潟県範囲とした。歩兵1個連隊青森に、もう1個連隊新潟県新発田においたほか、兵力過半仙台集中することとした。 この計画もとづいて部隊の増強続いた主力となる歩兵連隊で、1885年段階編成完了していたのは、第4、第5と第16の3個歩兵連隊である。歩兵第17連隊編成この年はじまり、1887年明治20年)に完了した1887年旅団以下の諸隊属した兵力は8563人、その他鎮台属す軍人軍属344人で、計8907人がいた、この数字実数で、定員対する欠は2448人であった

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1885年改正

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東京鎮台」の記事における「1885年改正」の解説

1885年明治18年)、太政官達33号5月18日制定公布)により、鎮台条例改正された。この改正は前から決まっていた軍拡方針受けたもので、6鎮台戦力均一にそろえられることになった。各鎮台師管2つずつとなった師管には歩兵旅団を1個置き、歩兵旅団は2個歩兵連隊からなったので、東京鎮台は2個歩兵旅団、4個歩兵連隊擁することとされた。しかし、4番目となる歩兵第15連隊1884年明治17年)に編成着手したばかりで、その完了鎮台廃止前年1887年明治20年になった

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